2024年1月4日木曜日

能登半島地震

        
 1月1日午後4時10分過ぎ――。届いたばかりの年賀状を読んでいると、かすかに体が揺れ始めた。

いや、体ではない、家そのものが揺れている。地震だ! すぐドドドと来るぞ。とっさに身構えたが、揺れは間もなく収まった。コロの上で家が前後に揺れるような感じだった。

別の部屋にいたカミサンが茶の間にやって来た。「地震?」。そのときにはもうテレビを付けていた。

震源は能登半島、最大震度は7。これは大きい。それだけではない。緊急地震速報が繰り返し流れ、津波注意報と警報、やがて大津波警報が発表された。

女性アナウンサーが切迫した声で呼びかける。「テレビを見てないで逃げてください」。翌2日も朝からテレビを付けっぱなしにした=写真。

13年前のあのときがよみがえる。拙ブログから、当日と翌日の様子を振り返る。

▽2011年3月11日=午後2時46分ごろ、大地が揺れた。揺れて、波うって、今にも大地に亀裂が入るのではないか、と思われるほどの大地震になった。

茶の間で横になって本を読んでいた。だんだん揺れが大きくなった。「ただごとではない」。庭に飛び出して車の屋根に手を置いた。車がぼんぼんとびはね、前後する。二本の足では立っていられない。

1分、いやそれ以上、揺れていたのは何分だろう。揺れが収まった時点で家に入る。本棚が倒れ、食器が落ち、テレビが倒れている。2階も足の踏み場がない。

▽翌3月12日=福島県の浜通りには原発がある。その原発がおかしくなった。日本で、福島県で、浜通りで、起こってほしくない事態が起きた。

放射能漏れが起きた可能性があるという。菅首相がヘリで原発を見に来るという。何のために?

いわき市は原発立地町の南にある。浜通りというくくりでいえば、原発をかかえたエリアに入る。

原発からの避難指示が3キロから10キロに拡大された。それがさらに拡大されて、いわきまで避難指示の範囲に入るのかどうか。

それよりまず、わが家の片付けだ。1階の部屋のうち、倒れた本棚、棚から落下した物をもとに戻す。

とはいっても、電気スタンドなどは壊れてガラス片が散乱している。台所の食器は、12日朝、カミサンが片付け始めた。

電気は大丈夫だが、水は出ない。11日の夕方、水が細くなったなと思ったら、宵には止まった。

カミサンがコンビニに駆けつけ、氷を買ってきた。融かせば水になる。トイレも水洗ではないので問題はない。ただただ原発が怖い――。

能登半島を含む北陸地方には志賀原発(石川県)、敦賀・美浜・大飯・高浜原発(福井県)、新潟県には柏崎刈羽原発がある。

3・11を思い出しながら、火災や家屋倒壊、がけ崩れなどの映像を見続ける。だんだん胸が苦しくなる。家屋倒壊などで閉じ込められている人が多いのか、被害の全容はまだわからない。

羽田空港では翌2日、滑走路で海保の飛行機と着陸中の旅客機が衝突した。海保機は現地救援に向かうところだったという。なんという年明けだ。

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