1月14日の日曜日の朝、夏井川渓谷の隠居へ行ってネギを収穫した。それがすめばやることはない。
カミサンからは出かける前、暮らしの伝承郷と薄磯のカフェ「サーフィン」へ行くといわれていた。
ネギを収穫したあとはアッシー君だ。隠居の滞留時間は30分で切り上げ、すぐ街場へ戻った。
伝承郷を経由してサーフィンへ行くと、ちょうどお昼になった。カミサンはいつものようにナポリタンを、私も同じくグリルサンドを注文した。
カミサンはママさんと趣味(パッチワーク)が同じだ。そのため、年に何回かはサーフィンへ昼食を兼ねておしゃべりに行く。
腹を満たしたあとは海岸で貝殻を拾うというので、防波堤そばの駐車場へ移動した。私は防波堤の上から海を眺めるだけにした。
空は雲ひとつない、淡いブルー。海は群青だ。白い波が四つ、五つ。幼い子どもを連れた家族が遠くを歩いている=写真。
あのとき、この海が壁となって沿岸を襲った。そのときまでサーフィンは、ほかの民家とともに防波堤のそばにあった。
立入禁止が解除されたあとに薄磯を訪ねると、一帯は更地化していた。サーフィンは店の部分が流され、すぐ裏の母家だけがポツンと残っていた。ママさんは地震の直後、近くの小学校へ避難して無事だった。
地盤も沈下した。岬の灯台をはさんで南側の豊間では砂浜が消え、防波堤のすぐそばまで波が押し寄せていた(砂浜はこの13年で少し戻ってきた感じがする)。
橋と道路、あるいは市街地のビルと歩道にも段差ができた。修復工事が行われると、一段高いところに橋がある――そんな印象の橋が多くなった。
震災から3年近くたって、新舞子海岸に新しく海岸堤防が設けられた。高さは7.2メートルで、従来の堤防より1メートル、地震に伴う地盤沈下分50センチを加えて、1.5メートル高くなった。
あのときを思い出したのは、元日に発生した能登半島地震が大きい。今度の地震では、海底が最大4メートルほど隆起したという。
大津波警報が発表されたが、津波による死者はどのくらいいたのだろう。石川県では13日現在、220人を超える人が亡くなっている。圧死が大半だったらしい。
能登半島自体、この隆起の繰り返しでできたそうだ。半島の海岸段丘がそれを物語る。「数千年に一度の現象」が今、目の前で起きたと専門家はいう。
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)はおよそ1100年前の貞観(じょうがん)地震以来の超巨大地震といわれた。こちらはいわば「千年に一度の現象」だ。
3・11は「歴史学的時間」のなかで思考を深めることができる。これに対して1・1(能登半島地震)はいわば、「地質学的時間」の中で起きた。
一瞬にして港が陸地化したところがある。そのまま元に戻らないとしたら……。やはり地球の脅威(驚異)を思わずにはいられない。
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