2024年1月30日火曜日

1・17から続く大震災

                              
 元日の能登半島地震以来、ほぼ毎日のように大震災関係の本やネットの文章を読んでいる。

3・11の発災直後に書き始めた震災や原発避難に関する拙文(ブログ)も繰り返し読んだ。

どこであれ、発災から避難、帰還と復旧・復興への長い道のりを思うと、胸が痛む。

今思えば、近年の大地震は29年前の1995年1月17日に始まった。兵庫県南部地震(災害名=阪神・淡路大震災)で初めて震度7が適用された。

 その後に発生した震度7の大地震を列挙すると、次のようになる。2004年10月23日:新潟県中越地震、2011年3月11日:東北地方太平洋沖地震(災害名=東日本大震災)、2016年4月14・16日:熊本地震、2018年9月6日:北海道胆振(いぶり)東部地震、そして今年(2024年)1月1日の輪島半島地震。

兵庫県南部地震の前年に、石橋克彦著『大地動乱の時代』(岩波新書)が出た。そのタイトルを借りながら、1・17から5年後に次のようなことを書いた。

「大きな時間の流れを『本』にたとえるなら、1995年1月17日午前5時46分52秒の阪神・淡路大震災のページの次に、2011年3月11日午後2時46分18秒の東日本大震災が記され、さらに次のページにはやがてくる大震災が書き込まれている(今はまだ、場所と被害規模があぶりだされていないだけだ)」

 1・17と3・11の間に起きた新潟県中越地震が抜けていたが、「次のページ」には熊本地震などがあぶりだされた。

 1・17のときにもいろんな本を読んだ。なかでも『神戸新聞の100日――阪神大震災、地域ジャーナリズムの戦い』(プレジデント社、1995年)は、ヒトゴトではなかった。現役の記者だったので、本が出版されるとすぐ買い求めた。

 地震で自宅が崩壊し、父を失った論説委員長の三木康弘さんが書いた社説「被災者になって分かったこと」が「超社説」として有名になった。

社説は「大きな反響を呼び、あらゆるメディアで取り上げられた。そっくりそのまま転載した新聞もある。被災者の姿を被災者自身が初めて綴り、やりきれない思いがストレートに伝わったからである」(同書)。

 被災者を救助する、あるいは支える側の警察・消防その他の行政、メディアも被災した。犠牲者を回向(えこう)する寺院も同様だ。

西宮市の住職藤原栄善さんが書いた震災記が、巡りめぐってわが家へやってきた。『大震災の中から芽生える』(平凡社ブッククラブ、1995年)=写真=で、それを最近読んだ。

 神戸その他にある寺院の被災状況や、犠牲になった人々への回向、宗派としての支援活動などが詳細につづられる。こちらも、具体的な被災状況に触れるたびに、手を合わせたい気持ちになった。

亡くなった檀信徒については、「ほとんどの家がまともに葬儀も執り行えない状況」だった。能登半島、いや3・11の沿岸部でも……と、思いは風のように乱れる。

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