2024年1月6日土曜日

ロックシェッド

                     
 街場から行くと、夏井川渓谷に入ってほどなく、ロックシェッド(覆道)が待っている。落石から道路を守る構造物だ。その先には崖にワイヤロープが張られている。

このロックシェッドは、谷側が何十本もの柱で支えられている。午後の光が差し込むと、ロックシェッド内に直線的な縞模様の影ができる=写真。

冬は早い時間から、この縞模様が現れる。自然がつくる光と影の組み合わせが面白くて、ときどきパチリとやる。とはいえ、まだ満足な写真は撮れない(ちなみに、この写真はカミサンが撮影した)。

なぜロックシェッドの話かというと、能登半島地震の惨状を伝える写真の中にそれらしい構造物が写っていたからだ。そこから13年前の記憶が呼び出された。

 ――夏井川渓谷はふだんから落石の危険がある。なかでも要注意なのが、このロックシェッド一帯だ。

3・11のときには、ロックシェッドから100メートル先で崖崩れが起きた。地元の住民によると、ワイヤネットが落石を受け止めて膨らんだ。落石が除去されたあとも通行止めが続き、自己責任で行き来したという。ロックシェッドでも落石は見られた。

巨大地震から半月余りたったころ、渓谷の隠居へ出かけた。平地と渓谷の踊り場でもある高崎地内から通行止めになっていた。

う回路がある。二ツ箭山のふもとを巻くようにして国道399号を進み、横川から「母成(ぼなり)林道」に入って江田へ出ることにした。

すると高崎の手前、県道小野四倉線と国道の分かれ目で交通警察隊が検問をしていた。福島第一原発から20キロ圏内への立ち入りを規制するのが目的だった。

他県から応援に来たのだろうか。「江田の先に家がある」といっても、「江田はどこか」。う回路の話をすると了解して通してくれた。

江田から上流の渓谷は、そんなに目立った変化はなかった。が、牛小川の一つ手前、椚平の対岸の山は至る所で落石があったのだろう。縦に赤みがかった筋が急斜面にいくつも入っていた。

隠居は、瓦屋根は無事だった。上の庭と下の庭を区切る石垣が一部崩れていた。室内は、これといった被害はない。崩れた石垣にはブルーシートをかけた――。

能登半島をグーグルアースで見ると、圧倒的に緑(森林)が多い。ハマ・マチ・ヤマの三層構造でいえば、ハマはそのままマチで、あとは川沿いに集落が続き、すぐ緑の丘陵と山地になる。

津波と海底の隆起、地盤の沈下、あるいは崩落……。沿岸部は険しい地形が続く。内陸の丘陵・山間地を結ぶ道路もあちこちで寸断されたようだ。

水道も止まり、電気も来ない。食糧も、簡易トイレもない、となれば、山間の小集落は孤立状態になる。

3・11を経験した身からすると、今、被災地が、ハマ・マチ・ヤマがどんな困難に直面しているか、おおよそ想像がつく。

救出活動と調査が進むにつれて、被害規模はさらに大きくなっていく。メディアも取材が困難な地域に足を踏み入れるようになった。それでさらに、苛酷な状況が見えてくる。

地域によっては1・17や3・11を上回るものになるかもしれない――そんな心配がよぎる。

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