図書館の新着図書コーナーに、今野真二『日本語と漢字――正書法がないことばの歴史』(岩波新書、2024年)があった=写真。
正書法とはなつかしい。それが、日本語にはない? なぜ? さっそく借りて読み始めた。
地域新聞社に入ると渡される「辞書」がある。共同通信社が発行している『記者ハンドブック 新聞用字用語集』だ。
そのハンドブックに従ってニュース原稿を書く。内閣告示による当用漢字(使える漢字)、現代仮名遣い、送り仮名の付け方のほか、用事用語集、日時・地名・数字の書き方などが網羅されている。
広辞苑よりは記者ハンドブック――。ハンドブックを開いては表記の仕方を確かめ、確かめしているうちに、ニュース原稿の「正書法」が身に付いてくる。
大手新聞社にもハンドブックがある。細部には異なるところがあるとしても、内閣告示を踏まえ、日本新聞協会用語懇談会の基準を参考にしている点では共通している。
で、正書法に従って文章を書いてきたと思っていた人間には、「正書法がない」というサブタイトルが気になった。
そのワケは? たとえば、英語の「心」は「heart」と書く。5つのローマ字をこの順に書かないと、間違ったつづりになる。つまり、文字化の仕方が一つしかない。これが「正書法がある」ということだという。
日本語はどうか。「心」「こころ」「ココロ」と、少なくとも三つの文字化の仕方がある。文字化の仕方が一つではないから、「正書法がないことば」ということになるそうだ。
日本語の文字は実際、漢字と平仮名、片仮名の組み合わせによってできている。その歴史的経緯が語られる。
朝鮮半島を経由して、日本に漢字文化がもたらされる。『古事記』『日本書紀』『万葉集』が成った8世紀の時点では、「漢字によって日本語を文字化する」ことが一つの到達点をみる。
その漢字から仮名が生み出されるのが9世紀末ごろ。『万葉集』が成った8世紀から250年ほど後のことだという。
そうした歴史的な変遷を経て、寛弘5(1008)年には、部分的ながら紫式部の『源氏物語』が書かれていたらしい。
『源氏物語』には『史記』や『白氏文集』などの一部が、漢文ではないかたちで引用されている。
このころには、すでに漢文を訓読し、日本語文として書き下すことが行われていたことが推測されるという。
ここまで読んできて、日曜日の夜を迎えた。毎週、大河ドラマ「光る君へ」を見る。今回も、中国人(宋の見習い医師)との交流が描かれていた。
交流というよりは恋愛だろう。しかしそれとは別に、主人公である「まひろ」の中国語に関する興味・関心がすごい。つまりは知的好奇心の高さだ。
手元には読みかけの新書。そこに出てくる源氏物語に関する文章を思い浮かべながら、日本語はもちろん、中国語を、漢字をどん欲に吸収し、やがては「和文」としての物語をつくりあげる作家・紫式部――そんなイメージが頭に浮かんだ。
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