2024年6月6日木曜日

ニワゼキショウ

        
 東日本大震災に伴う原発事故で放射性物質が飛散した。夏井川渓谷にある隠居の庭は、それで全面除染の対象になった。

 平成25(2013)年12月、庭の表土が5センチほどはぎとられ、山砂が投入された。猫の額ほどの菜園はいったん更地になった。

菜園と庭の境目に植えられたスイセンも、天然芝も消えた。隠居の庭全体が砂浜のようになった。その砂地が10年後の今、あふれるほどの緑に覆われている。

 5月の後半には、隠居の前でニワゼキショウの小花が咲き出した。平地のわが家のニワゼキショウは白色=写真、隠居のそれは赤紫がかっている。

そのニワゼキショウが10年前、いったん姿を消した。全面除染後の、最初の春の庭の様子を記したブログを、備忘録として抜粋・再掲する。

 ――「目を喜ばせる草」(園芸)はカミサン、「舌を喜ばせる草」(畑作)は私。いつの間にか、そんな役割分担ができた。

どちらにしても、新規蒔(ま)き直しだ、ゼロからの再出発だ、と思っていたら……。ゼロではなかった。

 平成26(2014)年4月2日、隠居へ様子を見に行くと、更地のような庭からスイセンの葉が伸びていた。

除染の際にあらかたかきとられたが、5センチより深く眠っていた鱗茎があったのだ。うち一つはつぼみがふくらみ、黄色い花が開きそうになっていた。

 たまたま前日(4月1日)に、いわき民報で読んだ佐々木吉晴いわき市立美術館長(当時)の文章を思い出した。彼の自宅の庭も同じように除染が行われ、長年手入れをしてきた草花が取り除かれた。

 やむをえない、今年の春は新たに苗を買って植えつけよう――。館長氏の頭の中に新しい花壇の設計図ができあがったころ、なじみの草花の新芽が山砂の表層を突き破り、緑も鮮やかにでてきた、という。けなげな植物の生命力だ。

「佐々木さんの庭と同じだね」。カミサンが校庭のような庭から芽生えた緑を見て言う。

それはそうだ。原発事故のせいで放射能が降りそそいだ。かわいそうに、庭の野草も、微生物もすみかを奪われた。怒りと喪失感を、山砂を突き破って出てきたスイセンの葉が、いっとき癒してくれた。

 館長氏は新芽の感動を哲学的な自己反省にまで深める。「復興再生には、まずそこにあったものや生きてきたものを最優先で尊重する態度こそが必要だった」と。

 館長氏にならって、深層的な想像力をはたらかせてみる。すると、やがてヤマノイモが芽を出し、どこからか種が飛んできて、ニワゼキショウが芽生えるかもしれない。

菌類のツチグリも、ホコリタケも庭のどこかに眠っているかもしれない。厄介者のクズも、チンアナゴのように山砂からつるを出している。しかし、クズもまた新しい庭づくりの協力者だ――。

 ニワゼキショウをよく見ると、夕方には花がしぼんでいる。新しい花が開花するのは、朝日が当たり始めるころ。何度も庭をながめているうちに一日の変化がわかってきた。

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