2024年6月29日土曜日

名字が一字違っていた

                              
 長い間もやもやしながらも混同していた。「怖い絵」シリーズの作家中野京子さんと、小説「長いお別れ」を書いた中島京子さん。

 中野京子と中島京子。「中」と「京子」に引っ張られて、「怖い絵」を書いたり、「長いお別れ」を書いたり、ずいぶん多才な人なんだと思い込んでいた。

私だけではない。ネットで検索するとやはり、2人を混同していた人がいる。ということは、世の中には混同組がいっぱいいるにちがいない。

 「怖い絵」の方の京子さんは西洋文化史、特に絵画と歴史に通じている。雑誌「芸術新潮」などを介して西洋絵画に独特の光を当て、こちらの解釈の幅を広げてくれた。

 最近、『災厄の絵画史』(日経プレミアシリーズ、2022年)=写真=を読んだ。カミサンが移動図書館「いわき号」から借りた中にあった。

 大洪水、古代戦争・天変地異、中世の疫病、宗教戦争、大火、ペスト、梅毒、天然痘、コレラ、ジャガイモ飢饉、結核、スペイン風邪。

これら人類を襲った災厄の歴史的な背景を、絵画を介して取り上げている。そして、最後の最後に、世界的に流行した新型コロナウイルスに触れて、「コロナ・パンデミックを、現代の画家たちははたしてどのように描くのであろうか……?」と結ぶ。

自分の人生に降りかかった「災厄」を思い出しながら読んだ。小学2年生になったばかりのときに起きた、ふるさとの一筋町の大火事。わが家も焼け落ち、初めて避難生活を余儀なくされた。

それから半世紀後の東日本大震災と原発事故。家は残ったが、原発事故のために10日近く、人生二度目の避難生活を経験した。

この災厄を思い出しているなかで、カミサンとあることわざの話になった。「いつまでもあると思うな親と金」には続きがあるという。

その続きとは、「ないと思うな運と災難」。災難はすなわち災厄。災厄と同時に、運=希望の元もあるのだとフォローしている。人生は、世間はだから面白い。

京子さんの話に戻る。『災厄の絵画史』を読んだとき、初めて「あれっ」となった。もう一人の京子さんが書いた『長いお別れ』を読んで2カ月もたっていない。「中野」と「中島」の違いに、つまり京子は京子でも別人であることにやっと思いが至った。

「長いお別れ」とは認知症のことだった。アメリカでは「ディメンシア」(認知症)を「ロンググッドバイ」(長いお別れ)ともいう。そのワケは「少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行くから」だそうだ。

中野京子も、中島京子も、どちらも読んで面白い作家だ。この際、「中野中島京子」と覚えておくことにしよう。本を手にしたとき、どちらの京子さんかすぐわかるから。

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