2024年6月25日火曜日

「私のふるさと」実地調査

                      
 いわき市教育文化事業団の研究紀要第21号(令和6年3月29日発行)をいただいた。

 自分の興味・関心からいうと、やはり文学に目がいく。渡辺芳一さんの「草野天平『私のふるさと』をめぐって――空中写真をもとにした草野杏平氏への聞き書き」を真っ先に読んだ。

 草野天平は草野心平の弟、草野杏平氏は天平の長男だ。天平も心平同様、詩を書いた。

 病気で妻を失った天平は、太平洋戦争末期、わが子を連れてふるさとの上小川村へ帰郷する。心平一家も終戦後、中国から引き揚げてくる。

 天平は戦後、比叡山に居住し、そこで生を終えた。「私のふるさと」は天平の絶筆になった(天平の口述を、再婚した妻の梅乃が筆記)。

昔、といっても東日本大震災の直前だが、この随筆をもとにしゃべったことがある。そのときのブログを中心に振り返る。

 天平の「生誕101年」の前日、平成23(2011)年2月27日午後、いわき市小川町の草野心平生家で「草野天平の集い」が開かれた。

当時、いわき市立草野心平記念文学館の学芸員だった渡辺芳一さんから頼まれて、「天平の作品とふるさと」というテーマでおしゃべりをした。

天平は「歩く人」という視点から話した。息子の杏平氏もお見えになったが、ご本人にとっては当たり前の父親の姿だったろう。

心平の「上小川村」の詩にある「ブリキ屋のとなりは下駄屋。下駄屋のとなりは……」の町並みの描写、これを実証したらおもしろい。

というのは毎週日曜日、夏井川渓谷の隠居へ行くのに、国道399号の中島バイパスを利用する。帰りは上小川の旧道を通る。

旧道沿いは一筋町で、心平の生家がある。ブリキ屋はどこ、下駄屋はどこ……と家並みをチェックしながら過ぎる。

渡辺さんの今度の論考もたぶん目的は同じ。昭和22(1947)年に米軍が撮影した空からの写真をもとに=写真、杏平氏とともに現地調査をし、杏平氏の記憶を重ねて、心平および天平の作品に出てくる建物や場所などを特定していった。

グーグルアースの写真と照合すれば、今と昔の比較ができる。そうすることで、私自身、当面の疑問が解けた。

旧道の集落の南、水田地帯に「新川という沼」や「夏井川に繋がる小川」がある。杏平氏はこの沼(大小二つあった)で泳ぎを覚えた。小さい沼は釣り専門だったという。

この小川はもしかして、「私のふるさと」に出てくる「裏山の方へ行くとシューベルトの『鱒』を思はせる様な清らかに澄んだ流れもあります」、これではないか。

二ツ箭山から発する下田川が集落の西のはずれを南下し、水田地帯を東進しながら、やがて夏井川に合流する。小川とはこの下田川のことだろう。

そして、米軍の空撮にはその小川(下田川)の南側に、東西に長い沼があった。たぶん、中島バイパス、そしてコンビニのあるあたりがそうではないかと見当をつけているのだが、どうだろう。

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