2024年6月13日木曜日

幻の軌道会社

                                
 きのう(6月12日)の続きのようなもの、といっても小川郷駅ではない。同じ磐越東線でも磐城常葉駅の話だ。

 このところ毎月、田村郡小野町の鉄道研究家渡辺伸二さん(東方文化堂)から、月刊タウン誌「街の灯(ひ)こおりやま」が届く。

 同誌に「磐越東線 各駅停車散歩」を連載している。これまでに全線で16ある駅のうち、いわき市内の小川郷、川前、赤井、江田など11駅を取り上げた。

 12回目の今回(2024年6月号)は、田村市船引町今泉にある磐城常葉駅を紹介している。

私は同市常葉町で生まれ育った。最寄りの駅はバスの便がある船引だが、距離的にはその東隣、磐城常葉駅の方が近い。しかも、ふるさとの町と同じ名前が駅名についている。

田村市を含む旧田村郡内には、東から夏井・小野新町(小野町)、神俣・菅谷(田村市滝根町)、大越(同市大越町)、磐城常葉・船引・要田(同市船引町)、三春(三春町)の9駅がある。

山が障害になって線路から大きくそれる同市都路町はともかく、なぜ常葉町を鉄道が通らなかったのか――。

私が小さいころ聞いていたのは、汽車の煙突から火の粉が飛んで、沿線が火事になるのを恐れたためだ、というものだった。

でも、渡辺さんの調べではその逆だった。常葉町は町長を筆頭に、磐城常葉駅からの軌道敷設に力を入れた。

渡辺さんによると、船引駅開業の1カ月前(大正4年2月)、当時の常葉町、片曽根村、移村、山根村、七郷村、都路村の1町5村が、鉄道院に磐城常葉駅の設置を請願した。

敷地の提供と総額9181円の寄付をした結果、大正10年4月10日に同駅が開業する。磐東線全線開通からわずか3年半後のことだった。

駅名が磐城常葉になったのは、この地方が昔、「磐城国」と呼ばれていたこと、常葉町が駅請願の中心的役割を果たしたことによるそうだ。

駅から常葉町の中心部まではおよそ5キロある。地元ではさらに常葉軌道株式会社を設立して、磐城常葉駅から町までの軌道敷設を計画する。

常葉町から今泉へは県道常葉芦沢線を利用する。軌道はこの道路に沿って建設された。

始めはSLが客車を引く計画だったが、常葉町と今泉の境(通称:泥棒坂)を登ることができず、これをガソリン機関車に替え、昭和3年上期に竣工、試運転も終えた。

 が……、資金繰りが続かず、営業運転ができなかった。同7年には自動車営業を加えて再建策を諮ったが許可されず、翌8年4月10日に会社は解散した。

今泉への坂は、子どもの私らも大人にならって「ドロボー坂」と呼んでいた。険しくはないが、境の峠まで長い坂が続く。SLさえ息を切らす、というのもうなずける。

渡辺さんの文章に刺激されて、『常葉町史』(1974年)を開いてみた。鉄道敷設計画、反対運動、軌道会社設立などの経緯が記されていた。

車で帰省するたびに利用していた県道が幻の軌道会社のルートだったとは……。これもまた歴史の妙味というほかない。

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