春になって少し暖かくなると、朝、庭に出て歯を磨く。地面からヤブガラシの芽が出ている。それを、歯を磨きながら摘む。マサキの生け垣も歯を磨きながら観察する。ミノウスバの幼虫がいれば、葉ごと除去する。
今年は4月20日の朝、この「ながら観察」を再開した。2日目も、庭に出て歯を磨きながら、地面をながめていると――。
ん? 春のキノコのアミガサタケがひっそりと1個、地面から頭を出しているではないか=写真。
なんという偶然、いや僥倖(ぎょうこう)だろう。たまたま「ながら観察」を始めたばかりの人間の目に、今が採りごろの食用キノコが待っていた。
眼福を独り占めにするわけにはいかない。カミサンを呼んで、アミガサタケの立ち姿を、指をさして教える。
前日に夏井川渓谷の隠居の庭で、アミガサタケの幼菌を収穫したばかりだ。今度は平地のわが家で、いながらにしてキノコ狩りを体験するとは。
実は8年前(2017年)にもわが家の庭にアミガサタケが発生した。そのときのブログを一部省略して再掲する。
――4月14日朝、カミサンの用事で運転手を務め、帰って庭に車を止めた。「あらっ、キノコ!」。カミサンが助手席から降りるなり叫ぶ。急いで回り込む。庭の花壇のへりにアミガサタケが頭を出していた。まだ幼菌だった。
アミガサタケは優秀な食菌だ。春、空き地や人家の庭、路傍などに生える。夏井川渓谷では、友人の家やわが隠居の庭でも見られる。
市街のわが家の庭に現れたのは初めてだ。渓谷の隠居の庭からなにかをレジ袋に入れて持ち帰り、袋をひっくり返して葉っぱや土を捨てた中にアミガサタケの胞子が含まれていたか。
アミガサタケは、柄も頭部も中空だ。丈はまだ5センチにも満たない。頭部の網目の間のくぼみ(ここに胞子が形成されるそうだ)は黒っぽい。その色が、頭がどう変化するのか。1週間は観察してみる。そのあとバター炒めにしてもいい。
渓谷を、街を、野原を、杉の花粉ばかりか、キノコの胞子が飛び交っている。空に浮かんでいる胞子は見えないが、胞子の存在を想像することはできる。
その空に、胞子に比べたらとてつもなく大きいツバメが飛んでいた。今年初めて見た。地面も空も春である――。
庭で枝葉を広げている木は柿やカエデ、ヤツデその他だ。どの木と共生関係にあるのかはわからない。
が、地中には規模こそ小さいものの、アミガサタケの菌糸網がひっそりと生きているのだろう。
あるいはただ単に、「旅する胞子」が偶然、わが家の庭に根付いたか。いずれにしろ、アミガサタケ1個だけでも、小さな自然の大きな豊かさを思わないではいられない。
翌日も、歯を磨きながら地面に目を凝らすと、マサキとヤツデの根元に、隠れるようにして1個が見つかった。2日続けての僥倖ではあった。
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