2024年5月27日月曜日

庭の若葉

                              
 カミサンの実家の庭は和風の「庭園」になっている。義父が造った。その血を引いたのか、カミサンが時折、家の生け垣を剪定したり、草むしりをしたりする。

 手入れまではいかないが、私も気がついたら芽をむしる、茎を引っこ抜く、ということをやる。

 早朝、新聞を取り込む。日中、気分転換を兼ねて庭に出る。特に春から初夏にかけては、つる性植物や侵略的外来種が目に付く。

 そもそも庭にどんな木が、草が生えるのかさえよくわかっていない。春になると地面から次々に緑が現れる。落葉樹が芽吹く。常緑樹も新芽を吹く。

 たぶん鳥が種を運んで活着したのだろう。4月には常緑の葉の先端に、白い羽毛をまとったような新芽が出た=写真。

 そんな新芽が付く常緑樹は、ネットで検索するとシロダモらしい。いちおうそれを前提にして書く。

新芽は、遠目には白っぽく見えるが、そばに行って真上からのぞくと緑色に変わる。いわゆる「産毛(うぶげ)」で、生まれたばかりの芽を、太陽の強い光や乾燥、あるいは害虫から守る役目があるそうだ。

新芽が大きくなるにつれて産毛は減っていき、やがては古い葉よりは少し淡い緑色になる。写真を撮ってからおよそ1カ月。新旧の緑の違いは目を凝らさないとよくわからない。

シロダモはまだ幼木だ。手をかける必要がない。ところが、気にかかるのは侵略的外来種のフランスギクだ。

種をまいたわけでも、苗を植えたわけでもない。なのに、庭の生け垣のへりに、真ん中が黄色くて周りが白い花がびっしり咲く。

最初、マーガレットかと思ったが、そうではなかった。マーガレットは葉が羽状で切れ込む。フランスギクは茎につく葉がヘラ形で互生している。それでわかった。

原産地はヨーロッパで、日本の侵略的外来種ワースト100の中に入っている。寒冷地生まれの植物なので、亜高山や北海道では厄介者扱いをされているようだ。

毎年初夏になると、花が咲く前に茎を引っこ抜く。今年(2024年)も合わせて十数本を始末した。取り忘れて花が咲いたものもある。それらは花ごと燃やすごみの袋に入れて種がこぼれないようにする。

シンテッポウユリもそうだ。フランスギクと同様、生け垣の根元を中心に芽を出す。引っこ抜いてもまた現れる。

つる性の植物では、なんといってもヤブガラシが目立つ。今年も朝、歯を磨きながら生け垣を巡り、新芽をむしり続けた。

キカラスウリはいつのまにか生け垣に絡みつき、キュウリに似た葉をつけ始めた。これも増えてほしくない植物なので、途中からつるを切断した。2~3日たって見ると、葉がしおれていた。

ひとまず増やさないための予防はしたが、必ずどこかで穴が開いている。ヤブガラシが見えないところで花を咲かせることになる。蔓延を防ぐにはときどき手をかけてやらないといけない。

2024年5月25日土曜日

ミョウガタケを収穫

                                
 夏井川渓谷にある隠居の庭では、私が野菜(三春ネギ)を栽培している。カミサンはハーブなどの園芸種を植え始めた。

 野菜はスペースが若いときの半分以下になった。その分、カミサンの守備範囲が広がった。

 隠居へ行くたびにカミサンは草むしりをする。きれいになったカミサンのエリアに、ニョキニョキとミョウガタケが現れた。

 前からミョウガはあった。が、すぐ草にまぎれてしまうので、ふだんは忘れている。草を引き抜くとけっこうな数の新芽が出ていた。葉先を含めて30センチ近くなった若芽をカットした=写真。

 食べ方は決まっている。まずは汁の実だ。細かく刻んだのをみそ汁に散らす。さわやかな香りと、ほのかな苦み、そしてシャキシャキした食感を楽しんだ。

一夜漬けもいい。カブとキュウリを刻み、風味用として庭のサンショウの木の芽とミョウガタケをみじんにして加え、だし昆布も入れる。即席漬けだからこそ、風味とうまみが出る。たぶんこれが一番好きな食べ方だ。

 ミョウガは、隠居だけではない。わが家と、南隣の義弟の家の庭にもある。春はミョウガタケ、秋は茎の根元にミョウガの子が現れ、花を咲かせる。ミョウガの子も汁の実や薬味にする。

 手をかけなくても勝手に出てくる、土の味、和のハーブだ。しかし、汁の実や一夜漬けだけでは物足りない。このごろは糠漬けも試すのだが、これが難しい。失敗と成功の繰り返しだ。

最初は、初夏のミョウガタケを10センチくらいの長さにして漬けたが、イマイチだった。浸透圧がよくはたらかない。

細いわりには硬いので、塩味と滋味がしみこむには時間がかかる。キュウリは1日もかからないが、ミョウガタケは3日ほど漬けてやっとしんなりする。

皮をむかないで入れたウドがそうだった。皮をむいたとたん、すぐしんなりしてうまかった。

ミョウガは皮の連続だから、むくわけにはいかない。いや待て、縦に4つ割りにしたらどうだろう。

4つ割りでは細すぎる。縦に切れ込みを入れるだけにして浸透圧がはたらきやすくしたら、細いところは1日でしんなりした。

それでも、試食したらやや硬い。太めの2本を糠床に残し、取り出すのをさらに1日遅らせると、ようやくしんなりしてきた。

ミョウガの風味は確かにある。とはいえ、子どもの小指くらいの細さだ。それを刻んで食べるわけだから、箸ではつまみずらい。食べ方が面倒だ。それに、食べても筋が残る。

ミョウガタケは、夏になると丈がのびて硬くなる。現役のころ、土曜日に隠居に泊まり、庭からミョウガタケを取って来て、小口切りにして味噌汁に放したが、硬くて食べられたものではなかった。

その意味では旬の時期が短い。今回が今年(2024年)の初物だったが、もう「終わり初物」にしないといけないようだ。

わが家のミョウガタケは、先端の葉も含めて1メートル近くになった。芽が出たなと思ったら、もう「終わり初物」を通り越した。

2024年5月24日金曜日

「集金」が集中

                              
 庭のエビネの花=写真=が満開になったのは4月下旬。その後、あれこれやることが続いて、ブログでエビネを取り上げる機会がなかった。さすがに5月も中旬に入ると花は散った。

 あれこれのほとんどは、行政区と所属する団体の事務のようなものだ。行政区の場合はコロナ禍後の行事再開が大きい。

 3月は年度末のあれこれ、4~5月は年度初めのあれこれが続く。コロナ禍で行事が3年ほど中止になったこともあって、復活後はなんとも仕事のリズムがつかめない。

 行政区のあれこれは、ほかの行政区も含めた地域全体の年間行事に基づくものが多い。

 新年度に入ると、区費のほかに各種団体の会費、あるいは協賛金、募金などのお願いがくる。

 そのつど団体からの「お願い」のほかに、自分の行政区に合わせた「回覧」をつくって隣組に配る。

 隣組に入っている世帯はもちろん、それを取りまとめる班長さんが、いつまでに、だれ(担当役員)に届けるかを、はっきりさせる意味もある。

 5月20日付の回覧資料は、行政からのものが1件、地元の団体のものが2件、いずれも集金を伴うものだった。

 さらに、6月9日の「清掃デー」(春のいわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動)に伴うごみ袋配布が重なった。

 集金は、市社協からの赤十字会費、地元の体育協会協賛金、青少年育成市民会議の支部会費で、それぞれ色の異なる封筒に芳名簿を添えてお金を集めてもらう。

 これが実はなかなか難しい。どうやったら班長さんが混乱せずにとりまとめられるか。資料を振り分ける私自身がいつも悩んでしまう。

 で、今はそれぞれの封筒に必要な書類をはみ出すように差し込んだうえで(そうしないと、封筒そのものを見落としてしまう可能性がある)大きな袋に詰め、さらに行政区独自の「回覧」を添える。

 そのために心がけているのが、現役のころにたたき込まれた「わかりやすく伝える」記事の書き方だ。とにかく読めばわかる回覧をつくり、混乱を減らす。

 配布をすませると、さっそく問い合わせの電話がかかってきた。いちいち芳名簿に署名をしてもらうのか――。

 原則はそうだが、隣組によっては年間の必要経費をあらかじめ集めているところがある。そこは班長さんの判断にまかせるしかない。そうすることで現実がうまく回っていくならいいではないか、という思いがある。

 区内会の半数近くを占める集合住宅には3人の役員がいたが、今はなり手がいない。私ら周辺の人間が役員を代行している。

 その集合住宅でも班長さんは後期高齢者、という場合がある。こちら(役員)も後期高齢者だ。現実的な対応を優先するしかない。

お金がからむときには、とにかく間違いがないように――それだけを念じるのだが、やはりといったらいいのか、ちょっとした解釈の違いが起きるようになった。

それを避けるための「回覧」のはずなのに……、もっと文章をわかりやすくしないといけないか。このごろはそんな思いが募る。

2024年5月23日木曜日

農学校教師宮沢賢治

           
 菌類と植物の「菌根共生」に関する本のなかで、畑山博『教師宮沢賢治のしごと』(小学館、1988年)=写真=が紹介されていた。

 20歳のころ、宮沢賢治にどっぷりつかっていた。新聞記者になって結婚し、子どもができたあとも、賢治の作品を、伝記や研究書を読んできた。

 しかし30歳を過ぎると、買っても「積ん読」に変わった。『教師宮沢賢治のしごと』は、40歳のときに買った。以来、35年も本棚に差し込んだままになっていた。

 土壌と菌類に関する記述はなかったが……。「第二章 初めての授業」に引き込まれた。

 「しめ縄」の話が出てくる。授業の冒頭、教科書を離れて賢治が「しめ縄」の解説をした。

しめ縄に細い藁(わら)を2~3本下げる風習があるが、なぜだか知っているかと、生徒に尋ねる。教え子はそのときの様子をこう振り返る。

 「『太いしめなわの本体は雲、細く下っているのは雨を表しています』というのです。そうして白いごへいは稲妻だったのですね。ぜんぜん知りませんでした」。「ごへい」は「紙垂(しで)」のことだろう。

 ではなぜそこに稲妻が出てくるのか。「それは、稲妻によって害虫が殺されるからです。稲妻はまた、空気中のチッソを分解して、雨と一緒にじょじょに地中に染み込ませます」

農家にとっては、雷雨は恵みをもたらす自然現象だ。五穀豊穣の祈りがしめ縄という形に昇華した、ということらしい。

著者の畑山博ではないが、教え子の証言を通じて、単なる読者にすぎない私もまた、賢治の授業を受けているような気持ちになった。

大相撲の夏場所が開かれている。横綱の照ノ富士は早々と休場したが、横綱の土俵入りこそが賢治のいうしめ縄の意味を担う。横綱とはこのしめ縄そのもののことでもあるそうだ。

相撲はもともと、豊作を祈願する神事だった。それが発展して今のようなかたちになった。

その象徴が横綱の土俵入りだろう。化粧まわしの上に純白の「綱」をしめ、柏手(かしわで)を打って、四股(しこ)を踏む。天地長久を祈り、地の邪鬼をはらい清めて安全を願う儀式でもあるという。

さて、「落雷でキノコが豊作になる」という言い伝えがある。岩手県の農業試験場が人工的に稲妻を照射し、実際にキノコの数が増えるかどうかを調べた。

すると、10種類のうち8種類で収穫量の増大が確認された。最も効果があったのはシイタケとナメコだという。なぜ増えたのか。研究チームの推論は、危機感からではないか、だった。

「キノコにとって、落雷は自分たちを簡単に全滅させる非常に深刻な脅威となる。キノコは死ぬ前に自分を再生しておかねばならないと感じ、稲妻を感知すると自動的に、成長を加速させて子実体の数を増やすのだろう」

『教師宮沢賢治のしごと』に戻る。教え子は、賢治から「とにかくこの地域の風土のことだけをよく勉強しろ」といわれた。東京へ行って百姓をするのではないのだから、が理由だった。

2024年5月22日水曜日

この花は?

                                  

   5月19日の日曜日は、正午過ぎに夏井川渓谷の隠居に着いた。街に用があるときは、朝のうちに隠居へ出かけ、少し土いじりをして隠居を離れる。19日は逆に、街で用をすませてから隠居へ行った。

 街の用事とは……。カミサンのアッシー君だ。内郷・天上田(てんじょうだ)公園で、内郷商工会青年部主催の野外イベント「GOOD TIME」が開かれた。午前11時開始に合わせて出かけた。

 公園の南隣に御厩小学校がある。校庭を駐車場に借りているはず。そのとおりだった。おかげで、知り合いの家に止めるまでもなく、会場をのんびり回ることができた。

 最後は親戚の娘さんが出店しているブースで一休みしながら、30代、あるいは40代の親と子が行き交うのを、眺めるともなく眺めて過ごした。

 会場でお昼のおにぎりセットを調達してから、隠居へ向かう。いつもは隠居の帰りにコンビニで昼食を買うか、街で食堂に入るか、するのだが、今回はその逆をやってみた。

 隠居へ着くとすぐ正午になったので、まずはおにぎりを食べる。たまたまこの日は朝から仕事が続いた。

回覧資料の振り分け・袋詰めをしてから、天上田公園のブースを巡り歩いたので、すぐ睡魔がきた。

 30分ほどで目覚めると、頭がすっきりした。そのあと生ごみを埋め、草むしりをした。前日の快晴から一転して曇り空になったが、それがかえって土いじりにはよかった。

 帰りは3時過ぎになった。帰路につくとすぐ、道端に黄色い花が咲いているのに気づいた。

 そのまま通り過ぎながら、頭の中では葛藤が始まった。「ニッコウキスゲ? かもしれない。近くの谷で見たことがある。しかし、道端では初めてだ」

 やはり気になる。途中から引き返して花を撮影した=写真。カミサンは「なんで今ごろ戻るの」と文句をいう。それはわかる。が、やはり確かめたい。

この付近の道端で咲くのはノカンゾウ、ないしヤブカンゾウだが、時期的にはまだ早い。

 花だけでなく、つぼみも黄色みが強い。やはり、ニッコウキスゲ? しかし、よく見ると花弁が細長い。ニッコウキスゲとは違う?

ネットで調べると、ヒメカンゾウというものがある。その花びらに似るが、つぼみは赤紫色に染まって膨らむのだとか。

 ここは『福島県植物誌』(1987年)に当たるしかない。まずはヒメカンゾウ。ん? ヒメカンゾウは、記載がない。福島県には自生していないということか。

 次に、ニッコウキスゲ。浜通りでは、浪江町、楢葉町、そしていわき市川前町が産地になっている。

 同誌を編集した一人、いわきの「山学校」の先生による情報として、鉛筆による書き込みがあった。

 ユウスゲ(ヒメカンゾウ同様、これも未確認らしく記載がない)が海岸にあるというので見に行ったが、ニッコウキスゲだった。あるかどうか不明。あるという人がいる以上、ないとはいえない――。

 ニッコウキスゲは海岸にも分布するから、渓谷でも十分、生息の可能性はある。としても、断定できない悲しさ。

2024年5月21日火曜日

スポーツフェスタ

                      
 地元の小学校から運動会の招待状が届いた。確か、コロナ禍で来賓の招待が中止になって4年がたつ。土曜日の午前8時半入場行進開始――とあったので、その少し前に校庭のテントへ直行した。

 雲一つない青空。熱中症が懸念される暑さになったが、やがて風が少し出てきた。テントに入っているとひんやりして、直射日光が恋しいほどだった。

 それはともかく、久しぶりの運動会に、「時代は変わった」そんな気持ちになった。

東日本大震災の2年後から地元の小学校の運動会を見続けている。入学式や卒業式にも招待された。しかし、これもコロナ禍以来、招待中止が続く。外でやる運動会が最初の「招待復活」イベントなのかもしれない。

 最初に「あれっ」と思ったのは、招待状の封筒には「運動会」と印刷されていたのが、案内状には「スポーツフェスタ」とあったことだ。

 運動会からスポーツフェスタへ――。古い人間としては、まずこの名称から記憶の更新をしないといけない。配られたプログラムも、もちろん行事名は「スポーツフェスタ」となっている。

 5・6年生の「120メートル走」や、1・2年生の「かけっこ」はそのものずばりだからわかりやすい=写真。

が、地元の新名所にちなんだプログラムなどはどんなふうにやるのか、さっぱりイメージがつかめない。

玉入れは玉入れでも、「ダンシング玉入れ」とあった。これは1・2年生の団体競技で、玉入れの合間にダンスを取り入れたものだ。

ダンス、そして玉入れ。これを2回繰り返して、かごに入れた玉の数を競う。ただの玉入れではない。ダンスと玉入れを融合させたところが新しい。

ダンスは、手の動きが速い。紅白歌合戦に出た「新しい学校のリーダーズ」や、テレビでときどき見かける、若いアイドルグループなどのダンスを連想した。

ただ、演じるのはまだ低学年生だ。ダンスのときは観客席を向いて踊るから、保護者も自分の子の表情がよくわかる。テントからも、かわいいしぐさに笑みがこぼれた。

いちおうネットで探ると、メディアも物珍しさから反応していたようだ。「ダンシング玉入れ」のルーツ探しをするテレビ番組があった。「コロナ禍の時短運動会にはおすすめ」ともあった。

あと、もう一つ。前は昼食をはさんで午後までプログラムが続いていたような気がするのだが……。

運動会、いやスポーツフェスタの花は、やはり紅白対抗リレーであることに変わりはない。それが行われたのは、午前11時半前だ。

観客席で、親と一緒になって昼食を楽しむという光景は消えた。コロナ禍と少子化もあって、時短運動会がそのまま継続されるようになったのだろうか。

2024年5月20日月曜日

ギョウジャニンニクのおひたし

                      
 旧知の消防OB氏から、今年(2024年)も川前産のギョウジャニンニクが届いた。ウドも添えられていた。

 去年、初めてちょうだいした。カミサンが聞いたところによると、奥さんの実家が川前町にある。そこでギョウジャニンニクを栽培している。それに触発されて、去年、ブログを書いた。

――ギョウジャニンニクは北海道の代表的な春の味だ。別名「アイヌネギ」。農文協の『聞き書アイヌの食事』(1992年)などで承知はしていたが、現物を見るのは2回目だ。

 最初はちょうど10年前、原発事故で双葉郡から近所に避難していた老夫婦から、パック入りのギョウジャニンニクが届いた。

 老夫婦とカミサンがいつの間にか仲良くなり、煮物や漬物を分け合ったりするようになった。いわばお福分けの一品だった。

ギョウジャニンニクは、本州でも山深いところには自生する。しかし、阿武隈高地に分布するという話は聞いたことがない。

川前は、いわきでは山間高冷地に入る。平地よりはギョウジャニンニクの栽培に向いているのだろう。

葉は鳥の羽のように長い。根元は赤みを帯びている。これが特徴らしい。似た形状の山菜にウルイ(オオバギボウシ)がある。こちらは、茎は白い。

調理法も調べる。醤油漬けというものがある。ギョウジャニンニクをよく水で洗う。生かゆでたものを刻んで容器に入れる。醤油・みりん・酒を煮たてて冷ました調味液を加えて、冷蔵庫に一晩おくと食べられる。

ほかには、てんぷら。ゆでたギョウジャニンニクを適度な大きさに切ってキムチに和えるのもいいそうだ。

まずはおひたしだ。かつお節を加え、醤油をかけて食べた。今まで経験したことのない変わった風味が口内に広がる。茎には甘みがある。歯ごたえも含めて,ニラに近いといえばいえようか――。

 今回もおひたしにした=写真。甘い。なんといっても、この甘さに引かれる。これはまさに新しい「口福」だ。貴重な山菜、いや高級食材。今回もそんな言葉が浮かんだ。

同時にいただいたウドは、先端と、むいた皮をてんぷらにした。本命は、しかし糠漬けだ。

皮をむいた茎を5~6センチの長さに切って、糠床に入れた。が、キュウリと同じように、半日とちょっと漬けてしまった。

食べやすい長さに刻んで口に入れると、しょっぱい。皮がない分、早く漬かる。それに合わせて、早めに取り出すべきだった。

水につけて塩分を抜いてからご飯のおかずにした。が、やはりこれは酒のつまみだ。池波正太郎『鬼平犯科帳』の「盗賊婚礼」に「独活(うど)のぬか漬け」が出てくる。

「清水門外、役宅の寝間で長谷川平蔵は久栄に肩をもみほぐしてもらいながら/『ああ極楽、極楽!』/独活のぬか漬けを肴に寝酒をやっていた」。肩もみも寝酒も、頼んだら張り倒されるが、ウドはやはりこれに限る。