2010年12月9日木曜日

冬の眠り


11月は夏井川渓谷で、週末ごとに用事や行事があった。7日は吉野せい賞の表彰式がいわき市立草野心平記念文学館で行われた。その帰りに、選考委員の一人を渓谷の無量庵に案内した。14日は「紅葉ウオーキングフェスタ」の案内人として、20~21日はミニ同級会の幹事の一人として、渓谷で過ごした。

ミニ同級会は「紅葉を愛でる会」が建前。でも、紅葉がどのくらい残っているか心配だった。7日には確かに、無量庵の対岸は錦に染まっていた。14日は、まだ紅葉が輝いていた。20日はだいぶ紅葉が散り、しかしカエデが燃え上がるほどではなかった。そのカエデも、28日になると散り始め、12月5日にはあらかた散っていた。

夏井川渓谷は冬の眠りに入ったといえるだろう=写真。となれば、景色はいよいよ単調になる。常緑樹のアカマツとモミ、これが黒っぽい緑色を線描しているとしても、葉を落とした森の印象は草木灰を塗りかためたように殺風景だ。いや、それこそが渓谷の冬のやすらぎの象徴なのだ。光は林床に注ぐ。視線は遠くまで届く。木々は静かに眠る。

「春から夏にかけて/芽を出し、枝をひろげ/花を咲かせた樹木が/いま、別れを告げようとしている。/生命の奔流は丘をくだり/黄昏の寒い灰色の/死の季節がやってくるから/自分自身と世界とに別れを告げるときがきた、/生命の一循環を終えたのだから/生れかわるためには、死なねばならないと、/根が考え、幹が感じている。/そうして、秋風に身ぶるいして/落葉の雨を降らせている。」

夏井川渓谷の殺風景のなかに身を置き、鮎川信夫の短詩「落葉樹の思考」を思い浮かべる。その一方で、平地のわが家では歌舞伎俳優をめぐるテレビのワイドショーから目が離せない。なにかがこわれかけているのではないか――。言葉にはならない,「前意識」とでもいうべきところで、身ぶるいするようなものを感じている。

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