2019年1月10日木曜日

吉野せいの小学校時代は?

47年前の昭和47(1972)年4月9日――。いわき市好間町・菊竹山の詩人三野混沌(吉野義也)の詩碑が三回忌に合わせて建立された。いわき民報の記者になって1年余り。日曜休刊に伴う日直出勤で取材した。冷たい小雨がぱらつく冬のような天気だったことを覚えている。
混沌の妻の吉野せいは、まだ短編集『洟をたらした神』を出してはいなかった。主催者から話を聞いて記事にした。記事を読み返すと、参列者のなかに野崎貞行という人がいる。当時、いわき市議会副議長だった。

後年、せいと『洟をたらした神』を調べているうちに、なぜ野崎が詩碑除幕式に参列したのか、という疑問がわいてきた。

民間の行事にハクを付けるために市長や議長(副議長はその代理)を招くことはある。記事に市長の名前がないところからすると、市長・議長は呼ばなかった? すると、野崎は個人的なつながりで招かれた? しかし、決め手はない。せいは小名浜出身。実家は没落船主。野崎は小名浜、いや福島県を代表す漁業会社・酢屋商店の経営者だ。キーワードは、とりあえず「小名浜」?

なにか手がかりはないものか――。数年越しのモヤモヤがひょんなことから解消した。直接なにかがわかったわけではない。間接的に類推できる情報が得られた。

総合図書館に『荒波を越えて―野崎貞行回顧録』が収蔵されている。回顧録は昭和49(1974)年12月に刊行された。『洟をたらした神』はその1カ月前、同年11月に刊行されたばかりだ。せいについての記述はないだろうが、なにかヒントになるものがあるかもしれない。

きのう(1月9日)、図書館へ行ったついでに借りて来て読んだ。せいに関する記述はなかった。が、せいと野崎は小学校の同級生らしいことがわかった。

野崎は明治33(1900)年3月生まれ、せいは前年の4月生まれ。野崎の回顧録の「著者略歴」に、明治45年3月福島県石城郡小名浜町立小名浜尋常小学校卒業・大正3年3月同尋常高等小学校高等科卒業、とある。

せいの方はどうか。平成11(1999)年、いわき市立草野心平記念文学館で開催された「生誕百年記念―私は百姓女―吉野せい展」図録「年譜」によると、やはり同年月に小名浜尋常高等小学校尋常科を、次いで同高等科を卒業している。野崎は「早上がり」だったという。ということは、2人は一緒に入学して、一緒に卒業していることになる(小名浜の人にとっては既知のことかもしれないが)。

回顧録の<学校時代の思い出 一、小学生のころ>の一節=写真。「やがて7歳になった春の4月、(略)私は学校に入学した。当時小名浜小学校は、現在の小名浜名店街や小名浜ショッピングセンターのあるところにあり、校舎はひら屋建ての小さなもので、一学年がせいぜい45、6人であった」。この45、6人のなかにせいもいた。あしたはもう少し「小名浜尋常小学校」の話を追ってみたい。

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