2019年1月21日月曜日

起震車で震度7を体験

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(震災名=東日本大震災)では、いわきは震度6弱だった。当時の拙ブログで状況を再現してみる。
                  ☆
3月11日午後2時46分ごろ、大地が揺れた。揺れて、波うって、今にも大地に亀裂が入るのではないか、と思われるほどの大地震になった。

 茶の間で横になって本を読んでいた。だんだん揺れが大きくなった。<ただごとではない>。庭に飛び出して車の屋根に手を置いた。車がぼんぼんとびはね、前後する。二本の足では立っていられない。

 1分、いやそれ以上、揺れていたのは何分だろう。揺れが収まった時点で家に入る。本棚が倒れ、食器が落ち、テレビが倒れている。2階も足の踏み場がない。

 ここは、いわき市平中神谷地内。カメラを手に家の前の道路に出る。ちょうど小学生の下校時間だ。低学年の女の子が隣の駐車場にぺたりと座り込んで泣いている。石のかけらが頭にぶつかったという男の子がいた。見ると、歩道そば、民家の石塀が崩れて歩道をふさいでいた。このかけらが頭に当たったのだという。

 となりは元コンビニ。駐車場が広い。子どもたちはそこにひとかたまりになって、大人になだめられていた。ざっと見たかぎりでは、子どもたちは無事だった。近隣住民にもけが人などはいなかったようだ。地震からおよそ1時間たつが、とぎれることなく余震が続いている。津波が心配だ。
                  ☆
 地震直後に書いてアップした。「津波が心配だ」と書いたときには、すでに大津波がいわきのハマにも押し寄せていた。次は、その翌日のブログ。
                  ☆
福島県の浜通りには原発がある。その原発がおかしくなった。日本で、福島県で、浜通りで、起こってほしくない事態が起きた。放射能漏れが起きた可能性があるという。菅首相がヘリで原発を見に来るという。何のために?

 いわき市は原発立地町の南にある。浜通りというくくりでいえば、原発をかかえたエリアに入る。原発からの避難指示が3キロから10キロに拡大された。それがさらに拡大されて、いわきまで避難指示の範囲に入るのかどうか。(中略)ただただ原発が怖い。
                   ☆
 なぜ、当時のブログを再掲したかというと、きのう(1月20日)午前、起震車で震度7を体験したからだ。6弱どころではない。7の揺れで年寄りはたたきつけられ、はねとばされてけがをするだろう――そう感じた。

いわき市消防本部で平地区の自主防災会リーダー研修会が開かれた。市河川課の職員が土砂災害をテーマに講話したあと、起震車で震度7の揺れと、消火器による初期消火を体験した。

震度7はすさまじいものだった。普通の家でいうと、食卓だ。4人がいすに座る=写真。地震波が届く。揺れ始める。縦にも横にも激しく揺れる。いすがずれ動く。テーブルにつかまっていないと倒れそうになる。体が激しく上下する――これでは古い家はつぶれる、腰に持病のある人は体験しないほうがいい。

 震度7は、1995年の兵庫県南部地震(震災名=阪神・淡路大震災)で初めて観測された。そのあと、2004年の新潟県中越地震、2011年の東北地方太平洋沖地震、2016年の熊本地震、去年(2018年)の北海道胆振(いぶり)東部地震でも観測されている。日本列島はたしかに大地鳴動の真っただ中にあるようだ。
 
研修会で8年前の災厄を思い出し、苦難の歩みを振り返ったせいだろう。夕方、別件の用をすませて帰宅したら、全国都道府県対抗男子駅伝で福島県チームが初優勝した、とテレビが伝えていた。日本一に思わず「ウオーッ」と叫ぶ。こちらは震度7以上の衝撃だった。

0 件のコメント: