2019年1月26日土曜日

紅梅と義家像

 4時過ぎ、天気が気になって起きた。静かだ。玄関を開けて新聞を取ると、雪が降っていた。庭も車の屋根も白くなっている。ぼたん雪ではなくて、細雪(ささめゆき)。手のひらで受けると、すぐ消える。積もるのか積もらないのか、判断に苦しむが、5時前に再度見ると、小降りになって、半月がおぼろに輝いていた。
 さて、日曜日(1月20日)に、いわき市南部の勿来関(なこそのせき)文学歴史館を訪ねたときのこと――。

 近くの吹風殿(すいふうでん)駐車場を中心に、人がたくさんいる。最初は吹風殿でなにかイベントがあるのかと思ったが、そうではなかった。みんなスマホを見ている。例のあれか。人はうろついていても、同館で開かれている企画展「いわきの雛(ひな)の吊(つる)し飾り――塩屋呉服店の『おつるし物』」には興味がない、いや知らないようだった。

 企画展を見たあと、少し周囲を歩いた。館の隣の広場に紅梅の花が一輪落ちていた=写真上。紅梅はどこに、と見れば、海側の斜面に植えてあるのが満開だった。紅梅の花の向こうに海が見えた。

 ウミ、ウメ……ウメハラの連想がはたらいた。哲学者の梅原猛さんが2週間前の1月12日に亡くなった。若いときに宮沢賢治などを論じた『地獄の思想』(中公新書、1967年)を読んだだけで、「梅原日本学」には縁がなかったが、およそ30年前にいわきで講演したことは覚えている。

当時、いわき民報で書いていたコラムから、講演のポイントを紹介する。梅原さんは、和魂洋才を踏まえて「縄魂弥才(じょうこんやさい)」という言葉を使った。縄文は変わらない、変わらないものの中心に宗教がある。弥生は変わる、外来の知識や技術を取り入れて新しくなる。

梅原さんは講演後、沼ノ内の国指定史跡「中田横穴」を見学して、打ち上げパーティーに臨んだ。その席上、中田横穴の「三角文様」から、同じような装飾横穴を持つ九州地方といわき地方を結ぶ「海上の道」を想定し、「あの文様は波を表しているのではないか」と、梅原的直観を披露した。

関の公園にある源義家の銅像=写真下=と、JR勿来駅前の義家像も見た。公園に義家像が立ったあとだったように思う。ときどき夫婦で尊顔を拝しに出かけた彫刻家の故本多朝忠さん(平)=平・松ケ岡公園の安藤信正像制作者が、「あの銅像はおかしい、兜(かぶと)の紐(ひも)が上あごにない」と憤慨していた。
  兜がずれて窒息しないように、紐は下あごと上あごの両方にかけて結ぶものだと、本多さんから教えられた。勿来の関公園に来たついでにそれを確かめてみたくなった。義家像には上あごに紐がない。いや、下あごにも紐があるようには見えない。彫刻家のいうように、時代考証とは無縁の義家像なのだと理解した。

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