2019年1月12日土曜日

永崎の「へそ石」

 いわき市の永崎海岸に「へそ石」があるのを知ったのは、故草野日出雄さんの『写真で綴るいわきの伝説』(はましん企画、1977年)を手にしたときだったか。
それからだいぶたって、へそ石にまつわる昔話を読んだ。いわき地域学會草創期のメンバーのひとり、故佐藤孝徳さんが『昔あったんだっち――磐城七浜昔ばなし300話』(いわき地域学會、1987年)を出した。校正を担当した。「へそ石」の話が3編収められていた。第59話の「甲石(かぶといし)の角(つの)」を除いて2話を紹介す

「大鮑(おおあわび)と弁慶」(第39話)――。「昔だかんね。弁慶が永崎のへそ石とこさ来た時だっち。大鮑あんので、取っぺぇとしたんだと。そんなわけだから、脇さ甲おいて、草鞋(わらじ)ばきで大鮑つかんでふんばったとね。なんぼ引(しっ)ぱっても取れなくって、草鞋の足跡だけ残ったと。脇さ置いた甲も石になっちゃったわけだ」

それで、へそ石のあるところへ行くと、「鮑石」も「弁慶の草鞋の跡」も「甲石」もある。もうひとつ、へそ石が銚子まで行ってしまった話。

「へそ石」(第53話)――。銚子で「この石拾(ひら)った人、草鞋つくっときの藁打ち石にしたんだそうだ。そんでへそ石の罰で、はやり病になったと。(略)神さまさ、拝んでもらったら、『永崎のへそ石、草鞋つくる藁打ち石にすんのは、どういうわけか』と、神さまに言わったからねえ。/そんでへそ石、親船さ積んで、永崎さ持って帰し(ママ)にきたんだと」

今年(2019年)の正月2日、年始にやって来た孫にお年玉をあげたら、時間ができた。カミサンを乗せて薄磯から小名浜まで、海岸道路をドライブした。へそ石は見たことがなかった。永崎海岸北端の龍ケ崎に寄って、へそ石と対面した=写真上1(石碑の手前の丸い石)

へそ石は砂に埋まって姿を消していた。それが、東日本大震災に伴う防波堤の復旧工事中、およそ10年ぶりに見つかった。で、地元ではへそ石が動いて悪いことが起きないように、龍ケ崎の「龍神様」のそばに固定した。

相模ナンバーの先客がいた。正月で帰省した地元出身者らしく、小さいころに見たへそ石その他の石の話をしてくれた。
それからの連想。テレビなどで見たトルコのカッパドキアの“キノコ岩”群を思い出す。実地に見たものでは、台湾・基隆の北方、野柳地質公園の“キノコ岩”が忘れられない=写真上2(奇岩のひとつ「女王頭(クイーンズヘッド)」)同公園は海に突き出た人さし指のような岬にある。長い間の地殻変動、海食・風食などの影響を受けてできた奇岩が林立している。

へそ石も鮑石も弁慶の足跡も甲石も、奇妙な石の形に地元の人間が想像力をかきたてられて付けた呼び名だろう。この永崎の奇石群は、へそ石以外は砂に埋まっていてよくわからなかった。

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