2019年1月29日火曜日

鎮魂の「じゃんがら和紙人形」

 いわき地方に「じゃんがら念仏踊り」、略して「じゃんがら」というものがある。月遅れ盆に青年会が新盆家庭を巡り、〈チャンカ、チャンカ〉と鉦(かね)をたたいて唄い踊り、死者を鎮魂する郷土芸能だ
〈チャンカ、チャンカ〉はいわきの音。じゃんがらのリズムはいわきのリズム。じゃんがらの歌はいわきの歌。いわきを代表する音・リズム・歌のすべてをじゃんがらは含む。いわきの人間は母親の胎内にいるときから、じゃんがらの鉦の音とリズムと歌をゆりかごにして育つ。

このじゃんがらを題材に、平・旧城跡の馬目美喜子さんが始めた「じゃんがら和紙人形」も、今や工芸品として広く知られる存在になった。

 大津波で壊滅的な被害に遭った平・薄磯地区で、去年(2018年)10月11日、カフェ「サーフィン」が再オープンした。新年になってからは初めて、おととい(1月27日)の日曜日、昼食をとりに出かけた。

 インテリアを兼ねて、ママさんやその知人がつくった小物がたくさん展示されている。前はなかったケース入りのじゃんがら和紙人形もあった=写真。聞けば、男性が、大津波で亡くなった薄磯の人たちのためにと、馬目さんに発注し、店に贈った。男性は店の常連だったのかもしれない。

 いわきでは行方不明者を含めて450人近い人が亡くなった。うち、薄磯では120人が犠牲になり、10人前後が不明のままだ。

 あと1カ月ちょっとで、あの日から満8年になる。薄磯に限らないが、津波被災地は風景が一変した。沿岸部で生まれ育ち、暮らした人たちにとっては、「ふるさと」は胸中にしかない。しかし、その胸中には今も亡くなった人、行方不明の人の顔が浮かんでは消え、消えては浮かんでいるのだろう。

 薄磯で亡くなった人たちのために――。じゃんがら和紙人形も、ただの工芸品ではなく、生き残った人のまごころを宿したものになった。祈りの対象になった。

そんなことを考えていると、内陸の中央台から年配の女性がコーヒーを飲みにやって来た。ママさんとは旧知の間柄だ。震災前は薄磯に住んでいた。津波で家が流されたという。「花すすき誰も悲しみもち笑顔」。またまた故志摩みどりさんの俳句が思い浮かんだ。

0 件のコメント: