阿武隈のわが実家では、そんなことはなかった。というか、記憶に断絶がある。かやぶき屋根の家で、年の瀬にもちをついた。私が物心づいたころの記憶だ。小正月には「だんごさし」もした。それが――。私が小2の春に町の3分の2が焼失する大火事を経験してからは、しきたりが簡素化された。「新生活運動」もはずみになったことだろう。その前後あたりから、正月に雑煮を食べたかどうか、あいまいになっている。
結婚とは一面で食文化の衝突と妥協でもある。いつからか、もちは元旦だけの雑煮一回だけになった。年末におせち料理を調達し、正月をもちとおせちで過ごすのも、正月にはみんなで骨休めをするという「生活の知恵」だろう。
ついでに言えば、ふだん私は「これをつくってほしい」「あれが食べたい」とは、ほとんどいわない。人が来るとき、たとえば“孫”ならカミサンがカレーライスにする。同級生ならカツオの刺し身を買ってくる。冬なら、「ほうれんそう鍋」にすることもある。これは、私が鍋奉行になる。
今年(2019年)も、正月三が日は流れにまかせることにした。元日の朝は、いつものように雑煮。これは儀式のようなものだ。昼以降は、ごはんプラス白菜漬けその他。二日目も同じだが、昼は義妹と3人で街へ行って中華料理を食べた。私は、細麺の五目ラーメン。この数年、細麺が好きになったのは、食道の筋肉が衰えているせいかもしれない。「初ラーメン」を口にすると、なぜかほっとした。
家に帰ると、息子一家があいさつに来た。孫にお年玉を渡す。午前中は、もう一組のジイバアの家へ行ってきたとかで、そちらからのみやげも持ってきた。ヒラメの柵(さく)だった。夜、これを刺し身にして晩酌のさかなにする=写真。行きつけの魚屋さんの包丁さばきを思い出しながら切っていったが、少々厚くなった。
「白身は薄く、赤身は厚く」とカミサン。そんなことはわかっている。が、ウデが伴わない。皿も大きなものにしておけばよかった。これも勉強、あれも勉強――そんな正月二日目の晩だった。
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