それとは別に、賢治の詩に出てくる「氷窒素」がオーロラに関係する、と知ってからは、いつかは“輝く窒素”を見たいと思うようになった。2009年に仲間と北欧を旅行した。ノルウェーのフィヨルドに感動した。しかし、北極圏までのしてオーロラも、という発想には至らなかった。オーロラは“極北”の現象という思い込みがあった。
賢治の「氷窒素」は詩集『春と修羅』の<序>に出てくる。「……気圏のいちばん上層/きらびやかな氷窒素のあたりから/……」。新聞記者になりたてのころだった。全国紙の文化欄にオーロラの研究者が随想を寄せ、賢治の「きらびやかな氷窒素」をオーロラにからめて論じていた。<氷窒素はオーロラのことか>と納得した。
先の3連休2日目(1月13日)、いわき芸術文化交流館アリオスで「オーロラ上映&トークライブ」が開かれた。この日は日中、二つの用事があって見に行くことはできなかった。映像を見た知人がフェイスブックで感動を伝えていた。
実は年末の12月25日、つまりクリスマスの晩、NHKが「天空のスペクタクル~オーロラ・四季の絶景」を放送した。カナダの夜空におどるオーロラに息をのんだ。
さっそく、オーロラの本を図書館から借りてきて読んだ。太陽から勢いよく飛び出してくるプラズマ(太陽風)が地球の磁気圏に入ると加速し、大気中の酸素や窒素と衝突する。そのとき、発する光がオーロラ、ということだった。
色は下から紫・緑・赤。それにも理由がある。紫やピンクは窒素との衝突によって生じる。窒素は酸素より重い。オーロラに紫色の部分があらわれたら、下層で窒素とぶつかった証拠だ。酸素の密度が濃ければ緑色、プラズマのエネルギーが小さいときには酸素の薄い上層では赤くなるという。
クリスマスのテレビでは、「世界・ふしぎ発見」でミステリイー・ハンターをしている白石みきさんがリポーターになった。現地で先住民からオーロラにまつわる話を聞く。「オーロラは死者の魂。先祖の魂がわれわれを守ってくれる」。それを行く先々で聞かされる。
何度目かのオーロラを見て、彼女は2年前に亡くなった母親を思い出して涙ぐむ=写真。「お母さんが会いに来ているように感じる」。オーロラには、人の魂をゆさぶる力と美しさがあるようだ。
師走の初旬、Eテレ「日曜美術館」でノルウェーの画家ムンクの「叫び」を見たときから、脳内にオーロラが出現していた。あの背景の流動的な色合い、あれはオーロラではないか。オーロラではないにしても、ムンクはオーロラを意識していたからこそ、ああいう流動的な背景になったのではないか――。「きらびやかな氷窒素」を、一度はこの目で見たいものだ。
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