2019年1月31日木曜日

再び野生ネギについて

きょうで1月が終わる。振り返れば、師走~正月とキノコの本ばかり読んできた。途中で野生ネギに関する本も加わった。
  野生ネギに絞って書く。3週間近く前、BSプレミアムのドキュメンタリー番組「シルクロード 謎の民 大峡谷に生きる」に、野生ネギが登場した。昔野菜の「三春ネギ」を栽培しているので、ネギの文化史には興味がある。ネギに関する文献がわかって、図書館にあれば、必ず当たるようにしている。テレビを見て、野生ネギの「今」を知りたくなった。

ネギの原産地は中国西部~中央アジアあたりで、西へ向かってタマネギになり、東へ向かって長ネギになった――そう思っていたが、甘かった。“知層”としてはまだ浅い。掘り起こし方が足りなかった。

3000メートル級の山々に囲まれた中央アジアの大秘境。羊を飼い、キノコや野生ネギなどを採って暮らす家族。シルクロード交易を支配したソグド人の末裔――。ドキュメンタリー番組に刺激を受けて、ネットで野生ネギの情報を探したら、藤木高嶺・元朝日新聞記者の仕事を紹介する文章に出合った。

新聞にパミール高原のネギの話を書いた。同高原は中国名・葱嶺(そうれい)。「ネギの生える嶺」だ。学者から『ネギは中国西部が原産地といわれているが、野生種のネギは未発見だ。葱嶺のネギが野生種だったら、植物学上の大発見だ』という連絡を受けた。

再び現地に出かけ、標本を持ち帰ってみてもらったら、中国名「太白韮(たいはくにら)」に最も近い。つまり、ネギではなくてニラだった(詳しくは、半月前の拙ブログ「タジキスタンの“野生ネギ”?」をどうぞ)。

その流れのなかで、中国の古典『礼記(らいき)』や三蔵法師の『大唐西域記』にネギの記述があることを知る。まずは図書館から本を借りてきて、「文献」として該当個所を探した。

『礼記』は「少儀 第17」に、葱の文字が出てくる=写真上・左。読み下し文は「葱若(ねぎも)しくは大薤(おほにら)を切りて之(これ)を實(い)れ、醯(す)にして以て之を柔(やはら)ぐ」。現代文では「ネギやオオニラは切って、酢に入れて柔らかにする」となる。ネギやニラの調理法、つまりピクルスのことか。

『大唐西域記』にはこうあった。インドからの帰路、「ここより東して葱嶺(パミール)に入る。(略)崖なす嶺は数百重となり、深い谷は嶮峻である。年中氷雪を戴き、寒風は烈しい。多く葱を産出するから葱嶺と言い、また山の崖が青々としているので名としたのである」。葱嶺の注釈に「堅い葱が多く野生しているのは事実である」という1行が付け加えられていた。

三蔵法師が通った葱嶺の景色とドキュメンタリー番組「シルクロード 謎の民 大峡谷に生きる」が重なる。「絹の道(シルクロード)」は「ネギの道」でもあった。

ほかにも藤木氏らの本を読んだが、それらは「ネギをめぐる冒険」とでも呼べるものだ。きょうはとりあえずネギに関する最古の文献の紹介にとどめる。

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