前日、皇后さまと同年齢という“お姉さん”がやって来た。去年(2018年)秋、ご主人が亡くなった。ドクターだった。入・退院を繰り返し、最後に入院したときには、自分の症状を“診断”して「もう退院はない」、亡くなるときには「『あと2~3時間だな』といって、そのとおりに息を引き取った」そうだ。
「最後まで医者だった。(妻としては、それが)つらかった」。そのうえ、「(夫が亡くなった今は)寂しいものよ」。そういうと、突然、「長生きしてね」と、視線をカミサンからこちらに向けた。「えっ? まあ」。“お姉さん”の激励が身にしみた。
ドクターの通夜へ出かけた晩、夏井川渓谷の隠居で高専時代の仲間とミニ同級会を開いた。飲み過ぎて足を取られ、ろっ骨を折った。“お姉さん”の娘の夫が開いている整形外科医院へしばらく通った。全治50日だった。
通院中、古希祝いを兼ねた中学校の同級会が郡山市の磐梯熱海温泉で開かれた。そのときの記念写真が年末、福島民報の折り込み情報紙に載った=写真。ずいぶん年を重ねたものだと思っていたが、“お姉さん”にハッパをかけられ、美智子さまの「今しばし生きなむ」の覚悟に触れて、あらためて「19歳の老少年」でいこう、と力がわいた。
きょうは平成7(1995)年に発生した阪神・淡路大震災の日。美智子さまが皇居のスイセンを花束にして、ガレキの上にそっと置かれた映像が思い出される。あとで読んだ本によると、スイセンの数は17本。1月17日にちなんだものだったのだろう。
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