第5回いわき昔野菜フェスティバルがおととい(1月28日)、沿岸部のいわき新舞子ハイツ=写真=で開かれた。いわきリエゾンオフィス企業組合を事務局に、いわき市農業振興課が主催した。
応募者が定員の200人を上回ったため、今年も抽選が行われた。年々、参加希望者が増えている。1回目のフェスティバルのあとに原発震災が発生した。以来、福島県内農産物の風評被害が続いている。そうした逆境のなか、いわきの消費者が必死になって放射能について学んだ結果の選択(参加者増)だ。
事業が震災前にスタートしていたことが、昔野菜が地域の宝であること、かけがえのないものであることを再認識させ、継続させる力になった(ように思う)。震災後では、復旧・復興の声にかき消されて昔野菜どころではなかったろう。
昔野菜(在来作物)の「三春ネギ」を栽培している。それで、2010年夏に2回、市の広報祇とリエゾンオフィス調査員のインタビューを受けた。以下は、広報紙に載った記事を受けての、当時の私のブログ(抜粋)。
――「広報いわき」2010年8月号に、「いわきの伝統農産物を次世代へ」と題する特集が載った。「近年、食の安全・安心や地産地消への関心が高まり、伝統的な食文化を見直す動きが広まっています。このような中、市では、地域に伝わる昔ながらの在来作物を次世代へ継承するための取り組みを進めています」
記事では、在来作物とは何か、なぜ在来作物が大切なのか、などについてふれたあと、①在来作物の発掘・調査②展示・実証圃(ほ)での栽培③(仮称)スローフード・フェスティバルの開催④在来作物に関する冊子の製作――を柱とする事業をPRしている。――
事業を展開している農業振興課の当時の園芸振興係長と、広報広聴課の女性が拙宅へ取材に来た。それが、「いわき昔野菜」事業とかかわる始まりだった。「(仮称)スローフード・フェスティバル」は「いわき昔野菜フェスティバル」になり、「冊子」は「いわき昔野菜図譜」に結実した。頼まれて、図譜に毎回「はしがき」を書いた。
新舞子ハイツを訪ねるのは、震災後初めてだ。この施設も津波に襲われたが、よみがえった。「昔野菜」事業も消えるどころか、かえって盛んになった。
震災3カ月後、担当の係長氏に「風評被害を防ぐため、土、作物の線量チェックを定期的に行うことを勧めます」といったメールを送ったことを思いだす。その後、画期的な「見える化プロジェクト“見せます!いわき”」事業が始まった。
昔野菜事業を介して、学者・生産者・料理人など、いろんな人と出会った。このつながりも大切な財産になった。
0 件のコメント:
コメントを投稿