きのう(1月20日)のブログの終わりにこんなことを書いた。小名浜の徳蔵院で「初観音」が行われたときのひとコマ――。
<「かんのん市」は一種のフリーマーケットだ。知人夫妻は神谷産の白菜や米などを並べた。カミサンが白菜を2玉買った。小名浜で地元・神谷の白菜を手に入れる不思議。これも、コミュニティー意識のなせるわざだろう>
その白菜の話。「かんのん市」の翌朝、白菜を8つ割りにして縁側で干した。午後3時すぎには甕(かめ)に漬けこんだ=写真。それが、おととい。
きのうの夕方、甕を見るともう水が上がっていた。この冬は2回漬け込んだが、塩の振りが甘く、水の上がりが遅かった。それで、今回は水の上がりを早くするために天日干しの時間を短くした。葉先までまんべんなく塩を振った。思った通りにすぐ水が上がった(やった! こんなことでもうれしくなる)。重しをひとつ取り除いた。
買った白菜は、外見はみずみずしいものではなかった。白菜を栽培したことがあるので、真冬はそうなる、とはわかっていても、白茶けていた。それこそ、真冬の畑にさっきまでかじかみながらいた――そんな感じだった。
さて、水は上がったが、食べるにはまだ早い。けさ、葉っぱをちょっとつまんだら、ストレートに塩味がした。葉っぱも草っぽい。塩がなじんでいないのだ。
シャキッとしながらしんなりしている、という状態になるまで、あと1日、いや2日。白菜漬けとしては初めての、歩いていける範囲内での「地産地消」が始まる――なんて、勝手に意味づけをしてしまう人間がいた。
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