家の前の歩道にごみ集積所がある。きょう(1月5日)は今年最初の「燃やすごみの日」。午前7時前、カラスが家のそばで鳴いた。10羽以上が群がり、生ごみを散らかしていた。あわてて黄色いごみネットを張った。今年の“仕事始め”はカラスに勝ちたかったのだが、ちょっと油断した。
生ごみを片づけていると、毎朝散歩をしている近所の人(双葉郡から避難中)がごみ袋を持ってやって来た。散歩中に散乱ごみを見かけたので片づけに来たのだった。もう1カ所、ごみの散乱している場所がある。そこを片づけてくると言って出かけた。ありがたいことだ。
それから十数分後、消防車のサイレンが――。次から次に真っ赤な車がやって来る。平市街の知人から電話が入った。2階に上がって見ると、400メートルほど西の住宅地から黒煙が立ちのぼっていた。
さて、本題。いわき地域学會は年に10回(5月~翌年2月)、市民講座を開く。2カ月分をまとめてはがき、時に手紙で会員に知らせる。きのう、1月(17日)と2月(21日)の講座案内をはがきに印刷し、投函した。これも私の“仕事始め”だ。
はがきの原稿は年の瀬に用意しておいた。年末年始の休みに入ったとはいえ、それぞれの家にはやることがある。大掃除、年始回りと応対、家族慰安、……。事務局の若い仲間が年末年始休最後の4日朝、「9時からやりましょう」と電話をかけてきたので、急いで部屋を暖めた。
わが家から少し離れたカミサンの伯父の家が事務局だ。ふだんはNGOのスタッフが住んでいる。2カ月にいっぺんは、短時間ながら「シェアハウス」になる。
家は高床式で、庭に面した床が半地下式の物置になっている。そこに3・11から1年半後、四倉の旧家からダンシャリで出てきた資料(ごみ袋で十袋余り)を保管している。市役所を定年で退職したあと、四倉の商工会に勤めた知人から連絡がきて、とりあえず地域学會で仮保管をすることになった。少しでも地域の資料を“救出”したい、そんな思いもあった。
はがきの印刷を終えたあと、カミサンが物置から資料を取り出し、若い仲間に整理を頼んだ=写真。平電力会社が戦中、国策によって東北配電(現東北電力)に統合されるまでの資料が主で、以前、関心のありそうな人に声をかけたが、反応はなかった。
資料のなかに、若い仲間の興味をひくものがあった。夏井川の支流・小玉川に建設した発電所の写真帳、そして当時の新聞つづり。新聞つづりの表紙には「大滝發電所問題切抜綴」と書かれてある。
このつづりをしばらく手元に置くことにした。いわき総合図書館が電子化していない旬刊紙「磐城評論」の現物が含まれていること、水力発電所が政治・裁判問題になっていたこと、戦後、いわき民報を創刊した野沢武蔵氏が関係していること、などが理由だ。少し時間をかければ、市民講座で話すくらいの材料はそろうだろう。
まずは本筋とは別の周辺の資料から、公開・解読していく。と同時に、調査・研究の呼びかけをネットですることにした。
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