きのう(1月2日)はカミサンの実家で年始客の応対をした。といっても、義父の親類が何人か来るだけだ。今年は喪中だったり、年末に葬式ができたりして、やって来たのは義父の甥の子に当たる人だけだった。
3・11のときには現役の救急隊員だった。休日で趣味の沖釣りを終え、陸に上がったところで大地震に遭遇した。すぐ近くの分遣所へ駆けつけ、同僚と沿岸住民の避難広報に走り回った。
1年後の春分の日、カミサンの実家へ線香をあげに来た。そのとき初めて、大津波の前と後のハマの様子を聞いた。港で避難を呼びかけていたら、大津波にさらわれていただろう、という。
いわきでは特に、塩屋埼灯台をはさんだ豊間と薄磯地区で被害が大きかった=写真(豊間・2011年7月24日撮影)。その北、「白砂青松」の新舞子は、防潮林が津波のエネルギーを減衰したからかもしれないが、大きい被害は免れた。
「海釣りをするからわかるが」と元救急隊員氏は言った。「磯が被害を大きくした」。豊間と薄磯にはそれがあるが、新舞子にはない。「津波は海底を伝ってやって来る。陸の近くに磯があれば一気に波が盛り上がる」。(そういえば、「舌状浅瀬」という言葉があったな)
3・11から4カ月後、NHK「ニュースウオッチ9」で、豊間地区の津波の特徴を調べた静岡大客員教授大和田清隆さん(いわき出身)の見解をもとに、いわき駐在の記者がレポートした。内容は、豊間の特殊な海底地形が被害を大きくした、東北大災害制御研究センターの解析によって「舌状に張り出した浅瀬で津波が集まり、大きくなった」ことが裏付けられた、というものだった。
それぞれの専門家には既知のことが一般の人間には伝わらない。住んでいる地域の歴史はもちろん、自然の特質についてもまだまだ知らない。「集合知」を市民に還元する役割を担うのは地元メディア。防災面から地域を知る連載企画を組めないものか――などと話を聞きながら思ったが、現役ではなかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿