いわき市常磐藤原町のスパリゾートハワイアンズがきのう(1月15日)、オープン50周年を迎えた。14日付のいわき民報の企画広告=写真=を見ながら、しばし17歳の心に帰った。
平高専(現福島高専)に入学して2度目の正月だった。陸上競技部の1年先輩に誘われて、オープン直後の「常磐ハワイアンセンター」へ遊びに行った。先輩はガールフレンド2人を連れてきた。先輩の中学校の同級生だったように記憶している。
エネルギー革命によって、石炭産業が終焉を迎えつつある時期だった。阿武隈の山の中から夏井川を下ってやって来た少年には、そうした地域の実情はみえていなかった。温泉を使った屋内プールができて、フラダンスを踊る女の人がいる――面白そうな遊び場ができた、それだけだった。
炭鉱から観光へ――今だからこそ認識していることだが、石炭産業が隆盛のころは邪魔モノだった温泉水を生かして、観光業へと業種を転換した。「一山一家(いちざんいっか)」の精神で失業者を出さないように、会社が新しい受け皿(企業)をつくった。それが成功した。そのへんのいきさつは映画「フラガール」に詳しい。先輩はそのころ、常磐の炭鉱住宅に住んでいた。
「日本のハワイ」だから「冬に泳げるところ」がミソ、いや「日本のハワイ」を売り込むにはオープンが真冬でなければならなかったのだろう(と、この年になってやっと合点がいった)。
先日、湯本温泉のホテルで高専OBの集まりがあった。先輩の同級生がハワイアンセンターで遊んだ話をした。「〇〇クン(先輩)の奥さんは一緒にいた女の子?」「ではないです」「そうだよな」。17歳。同じ年ごろの女子がいるだけでときめいただけに、そのへんの記憶は鮮明だ。ところが、先輩の同級生がいたことをすっかり忘れていた。
日曜日や祝日にはアイドル歌手がやって来た。私らは行かなかったが、女子中学生などはいつもその話でもちきりだった。そのころ、常磐ハワイアンセンターは少年少女の「聖地」だった。
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