朝日新聞の訂正記事が変わったというから、1月12日付の紙面をパラパラやっていたら、スポーツ欄にあった=写真。私がデスクだったら「バカヤロー」と怒鳴ったかもしれないような単純ミスだ。まちがったワケを伝えつつ、最後に「訂正しておわびします」という文章を添えている。
見出し代わりのカット(訂正を線で囲んでいる)は変わらない。変わったのは2つ。前はまちがった個所だけの訂正だったのが、なぜまちがったかを書いている。「訂正します」で終わっていたのを、「訂正しておわびします」と、「おわび」を追加している。
44年前の昭和46(1971)年春から平成19(2007)年秋まで、いわきで地域新聞の記者・編集者をした。「訂正しておわびします」、あるいは「おわびして訂正します」になじみすぎるくらいなじんできた。
地域新聞は読者との距離が近いだけに、まちがった記事を書くとすぐ電話がくる。ほとんどが聞きまちがい・写しまちがいといった初歩的なミスが原因だ。おととい(1月13日)の訂正記事に、成人式の記念品受領者の名前をまちがえた、というものがあった。
小さな組織だから、記者は常に評価の最前線に立たされる。ミスには率直に頭を下げる。訂正記事に「おわび」が入るのは当然のことだ。
大手新聞には、「訂正」には「おわび」は要らない、「おわび」は訂正のレベルを超えたもの、といった“不文律”があるのかもしれない。でも、地域新聞のOBからみると、それは発信側の勝手な線引きにすぎない。
全体からみると何百万分部の1、何十万部の1、何万分部の1かもしれないが、個々の読者からいえば、新聞(社)とは1対1の関係、つまり個別・具体なのだ。そのへんの認識が弱いのではないか。
朝日のほかはどうだろう――。ネットで訂正記事のカタチを探っていたら、池上彰さんが産経の総合オピニオンサイト「iRONNA」のインタビューにこたえているものがあった。タイトルがいい。「産経さんだって人のこと言えないでしょ?」
そのなかに「最近、日経新聞の訂正も非常に丁寧になりました。前はただ『訂正します』という言葉だったのに、最近は『お詫びして訂正します』に変わった」とあった。
読売はどうか――。きのう(1月14日)の社会面(36面)右隅にグレー地の白抜き明朝体で「訂正
おわび」のカットがあった。前は、そんなカットはなかったのではないか。
「13日【二面】フランスの連続銃撃テロ事件を受けた『行進に参加した首脳ら』の表で、米ホルダー司法長官は参加していませんでした。確認が不十分でした」。カットで訂正・おわびをしているから、本文に訂正・おわびの言葉は不要、ということなのだろう。なるほど、考えたものだ。
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