月の初めには、交流スペース「ぶらっと」に届く双葉郡の自治体の広報紙に目を通す=写真。浪江・双葉・大熊・富岡各町の広報紙には、県内外に分散・避難した町民の声が載る。除染の進み具合や常磐道の部分開通など、その時々の町の様子も載る。
<おやっ>と思うときがある。浪江町の平成27(2015)年1月号。町長に続く議長の新年あいさつの中に、坂村真民(1909~2006年)の詩が引用されていた。
「避難生活の長期化や復興の遅れが人の心を蝕んでいきます。放射能に対する考え方や帰る、帰らない、帰れないなどの意見の違いで弱い者同士で争い合いがないようにお互い気を付けなければなりません。そして、今の私たちにしかできないこともあります。私の言葉ではうまく表現できないので……」と断ったうえで紹介したのが、坂村真民の「あとから来る者のために」だった。
<あとからくる者のために/苦労をするのだ/我慢をするのだ/田を耕し/種を用意しておくのだ、あとからくる者のために/しんみんよ お前は/詩を書いておくのだ、あとからくる者のために/山を川を海を/きれいにしておくのだ、あああとからくる者のために/(以下略)」。『坂村真民全詩集』(大東出版社)には、これとは違ったかたちの「決定詩」が載る。
あとから来る者のために、山を、川を、海をきれいにしておくのだ――ここがポイントだろう。放射能に汚されたふるさとを、汚されたままでは次の世代に渡せない、元の環境を取り戻すために頑張るのだ、という覚悟の表明でもある。
実は先日、学校仲間の飲み会があったあと、ネットで先輩の情報を探ったときにも、坂村真民の詩に出合っている。先輩は平成24(2012)年11月、白河市議会議長として詩碑の除幕式に出席した。その10年前、愛媛県に老詩人を訪ね、思いのたけをぶつけたら、ふすま1枚分の直筆詩を送ってくれた。その詩「これからこれからと」が碑になった。
常磐道広野IC~常磐富岡IC間が再開通した同26(2014)年2月には、復興祈念プレートが除幕された。坂村真民の詩「念ずれば花開く」が彫られている。
これは静かな坂村真民ブームではないのか。東日本大震災という「地獄」を経験して、人を励ます真民の詩が広く受け入れられるようになっているのではないか。
けさ(1月17日)、阪神・淡路大震災が発生した5時46分直後に目を覚ましたあと、「これからこれからと」を口の中で唱えてみた。<二度とない人生だから/これからこれからと/わたしもわたしに呼びかけて/励んでいこう>
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