年始あいさつにカミサンの実家(米屋)へ行ったときのこと。南側の軒下の物干し竿に柿がつるしてあった。ほかの家のようにすだれ状ではない。2個をひもで結んで1組にし、それぞれに青いネットをかぶせている=写真。当主(カミサンの弟)がカラスに手を焼いて自衛した。
中身がなくてネットだけのものもあった(片方がずっと下に垂れている)。ネットをかぶせても、カラスに破られて柿を持っていかれたのだという。
いつの話かは聞きもらしたが、軒下の干し柿の数がいつの間にか少なくなっている。近所に住む姉(カミサンの妹)が店の手伝いに来る。最初はその姉が黙って持っていたのかと誤解していた。物置かなにかの屋根にのぼったとき、干し柿の残がいがあった。それでやっとカラスが“犯人”とわかった。
カラスはめざとい。記憶力もいい。わが家でも、週に2~3回はごみネットでの攻防戦を展開している。何度も書いているが、家の前の歩道にごみ集積所がある。早朝、ごみネットを出すのが遅れると、生ごみが食い散らかされる。プラ容器だからと言って安心はできない。けさ(1月14日)もつつかれる前に黄色いごみネットを出した。
おっと、ほんとうはカラスより干し柿の話をしたかったのだ。小さいころはおやつ代わりに食べたが、大人になってからは食べようとも、つくろうとも思わなかった。それが、人生の日暮れにさしかかって変わってきた。むしょうに懐かしい。
昔、いわき地方の方言や郷土料理に詳しい知人の家を訪ねたとき、冷蔵の干し柿をもらった。知人の家ではそうして保存しておいて、正月に干し柿を食べるのだそうだ。
その習慣は、知人が亡くなった今も続いているだろうか。原発震災がその食習慣を断ち切りはしなかっただろうか。
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