50年ちょっと前の、創立3年目の平高専(現・福島高専)。機械、電気、工業化学の3学科があった。修学年限は5年、定員は各学科40人。私ら3期生が入学した時点で学生数は3~1年生計120人余だった。
土曜日(1月10日)に「期」をこえ、「科」をこえ、「卒業・中退」をこえた、もうひとつの同窓会「専友会」がいわき市常磐湯本町のホテル美里で開かれた。
今は一緒に“海外修学旅行”をする別の科の仲間が、自己紹介を兼ねて当時の先生が3期生について評した言葉を披露した。これは解けないだろうという問題を出したら、1期生は解いた。それに比べたら――という話だ。「1期生は『神様』、2期生は『仏様』、3期生は『ただの人』」。別の先生にも、テストの平均点数が年々下がっていると言われたことがある。
参加したのは1期生5人プラス奥方1人、2期生10人、3期生8人、4期生1人。すまいは福島県内を中心に、横浜、東京、宮城、茨城、遠くは京都などだ。68~65歳になっても、先輩・後輩の関係は変わらない。いや、先輩が慎み深くふるまうほどに緊張する。それぞれ個性的な「来歴」と「現在」は別に書くとして、とりあえず2つのことを記しておこう。
1つは、湯本の温泉旅館の「今」について。3・11直後は、原発事故の収束作業に従事する作業員の宿舎になっているところが多かった。ホテル美里には、専友会のほかに県内3高校の硬式テニス部が泊まった=写真。震災前と同じように温泉旅館として機能しているのがうれしかった。
もう1つは、1次会の締めに歌った校歌だ。学校は旧平市時代の昭和37(1962)年にできた。その4年後、私ら3期生が3年生のときに常磐地方14市町村が合併して「いわき市」が誕生した。それに合わせて、校名が「平高専」から「福島高専」に変わった。
草野心平作詞の校歌も、「タイラ高専」から「フクシマ高専」に1音増えたが、参加者はもともとの「平高専」にこだわった。草創期、自分たちで道を切り開いてきたという自負、愛着がそうさせたのだろう。これも一種の「刷り込み」にはちがいない。
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