いわきでは、あの2011年3月11日、そして1カ月後の4月11、12日に6弱を経験している。そのときのわが家と周囲の状況を思い浮かべながら、画面に見入った。
けさの新聞によると、6弱を記録したのは大阪市北区、高槻市、枚方(ひらかた)市、茨木市、箕面市。この1区4市の人口はざっと130万人、いわきの4倍だ。面積は逆に4分の1の約300平方キロメートル。人口密度はいわきの15倍、人口集中地域だ。
東北地方太平洋沖地震と大津波、それに伴う原発事故が起きたあと、国際NGO・シャプラニール=市民による海外協力の会が、いわきで支援活動を展開した。いわきを起点にした被災地訪問ツアーを今も行っている。リピーターの一人、Sさんが大阪最北端の能勢町に住んでいる。前は箕面市に住んでいた。
テレビ画面=写真=を見続けながら、Sさんの安否が気になった。やがて、フェイスブックで本人が無事であることを伝えてきた。「ワインが棚から落ちて割れたぐらい」ですんだという。能勢は震度5。家も「田舎の大きな古民家」だ。なにはともあれ、よかった。
7年前の6弱のとき、わが家は――。食器棚から皿などが、本棚から本がなだれ落ちた。2階は1階よりひどかった。本棚から落下した本と倒れた本棚で足の踏み場もない。大阪の被災者も言っていたが、「家の中がグチャグチャ」になった。家そのものも大規模半壊に近い半壊の判定だった。
近所の家の石塀が歩道に落下した。ちょうど小学生が下校中だった。たまたま何秒かの差で下敷きになるのを免れた。大阪では登校中に犠牲者が出た。屋根の頂部の“グシ”が壊れ、瓦が割れたり落ちたりした。大阪でもこれからブルーシートが屋根を覆うようになるだろう。停電、断水もあった。水洗トイレが使えない。都市ガスが使えない。大阪では新幹線も在来線も私鉄も止まった。
ライフラインのシステムが巨大化した大都市圏では、その寸断による影響もケタ違いに大きい
前日の日曜日午後3時27分には群馬県で震度5弱を記録した。群馬と大阪の関連性はないにしても、日本のまち・むらはどこでも被災地になりうる。“地震列島”に暮らしていることを再認識させられる一日になった。
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