2018年6月9日土曜日

えんま様の出番だ

 小学校に上がる前の記憶だ。祖母が私ら孫を早く寝かしつけるために物語を語り聞かせる。夜通し鳴き続けるホトトギスの昔話をしては、「きょうだいげんかはするな」。地獄の話をしては「ウソをつくとえんま様にベロ(舌)を抜かれるぞ」。「虚」と「実」の境がわからない幼児には、脅しが効きすぎた。「ウソも方便」のレベルを超えて、今もベロを抜かれるのではないかと恐れるときがある。
 えんま様の前に引っぱりだしてやりたくなるようなニュースが続いている。日本を代表する企業のデータ改ざん、燃費不正、不適切会計、欠陥エアバッグ……。政治の世界ではモリ・カケ、そんたく、公文書改ざん。スポーツ界ではパワハラ。この国の“病い”が一気に噴出しているのではないか――。地方の隅っこで暮らす人間にはそう思えてならないこのごろだ。

“病い”の原因はなにか。表層・中層・深層のそれぞれになにかおかしいものがあるに違いない。

 私は、本を読みながら気になったところ、大事だと思われるところに傍線を引く。そこに本からはみ出すようにしてインデックスを張る。あとでインデックス、つまりポイントを絞って、その前後を含めて読み返す。このごろはそうして、哲学者内山節さんの『戦争という仕事』(信濃毎日新聞社、2006年)=写真=を読んでいる。なぜウソがはびこる社会になったのか。原因を考えるヒントがあった。

「仕事を私たちの暮らす世界をつくるための有用性や有効性からとらえるのではなく、自分の利益や出世の道具にしてしまったのが現代ではなかったのか」(<退廃>=「戦争という仕事」)

「国家、政治、資本というものが、野放しにすれば『悪』をもやりかねない存在であることを誰もが知っている。『国家のため』と言う人ほど自分のために国家を利用しようとしている人であって、国家のことなど何も考えていないのだということも、あたり前のこととして知れわたっている」(<おわりに>)

 もう、えんま様の出番ではないか。地獄からこの世に出張してきて、ウソが蔓延する世の中を鎮めてほしい、あとで地獄が大混乱するのは分かりきっているのだから――。庶民はしかし、半分は仏様を見ている。

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