2020年7月22日水曜日

タオルが必要なとき

古い布やタオルが手に入ると、義弟が利用しているデイケア施設に贈る。施設では、利用者の体の一部をふくのに布類が欠かせない。いくらあってもいいという。
前にも書いたが、ダンシャリで古本が出ると、取りに行くか、持ってきてもらう。それを古本屋で換金する。額は微々たるものだが、何回か繰り返してたまったら、シャプラニール=市民による海外協力の会に寄付する。あるとき、同じダンシャリで出てきた使用済み切手を送ったら、6万円近くになった。れには驚いた。

 布類は、シャプラとは関係なく、リサイクル(再生利用)かリユース(再使用)に回す。

 先日、未使用のタオルが届いた。その一部を、カミサンがわざわざ私に見せた=写真。白地に「平工業高等専門学校」「第1回東北地区国立工業高等専門学校体育大会」と染め抜かれている=写真。

平高専は、現福島高専。昭和37(1962)年、全国に12ある1期校のひとつとして、東北地方で初めて開校した。翌年には八戸・鶴岡・宮城(現仙台)高専、翌々年には一関・秋田高専が開校した。

私は同39年、平高専に入学した(やがてシャプラの創立メンバーのひとりになる人間も翌年入学し、寮で一緒になった)。最初はバレーボール部に入り、あとで陸上競技部に移った。平で初めて東北地区体育大会が開かれた記憶はある。が、それがいつだったか、1年のときか2年のときか。

今年(2020年)は第57回だが、コロナ禍のために中止になった。それから逆算すると、第1回は昭和39(1964)年、私が1年生のときだったことになる。バレーボールの競技でボール運びのようなことをした記憶があるが、それもあいまいだ。開催時期もよく覚えていない。

陸上競技部での記憶ははっきりしている。夏休みに入って少したってからだった。八戸へ行き、仙台、鶴岡へ行った。八戸の飲み水とイカのうまさ、十和田湖への観光、なかでもバスガイドの名前「目時洋子」さんは、50年以上たった今も覚えている)

第1回東北大会のタオルは記念品としてつくられたものだろう。ということは、学生ないし教職員だった家に半世紀以上も眠っていたことになる。黄ばみ加減がそのことを物語る。誰のタオルかはむろん、わからない。が、それを見た瞬間、ふるさとを離れて平市(現いわき市)に移り住んだ15歳の春と夏の記憶がよみがえった。

豪雨災害に見舞われた九州では一時、清掃用にタオルなどの布地が必要だった。今はタオルからトイレットペーパーやキッチンペーパーといった生活用品に替わったという。

一方で、いわきのある施設では、コロナ問題が起きて以来、施設内の消毒が欠かせなくなった。ドアノブなどを消毒するのに、全国的に品薄のガーゼタオルに代わって、家庭で眠っているタオルなどを必要としているそうだ。「ご自宅に使わないタオル等の布があれば、ぜひ寄付していただけると助かります」。そんなチラシが届いた。

豪雨災害、コロナ禍、布不足。遠くの被災地も、近くの施設もそれぞれに困難を抱えている。協力を求めている。

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