2020年7月28日火曜日

葬儀場での再会

 日曜日(7月26日)に詩人粥塚伯正(みちまさ)クン(69)=平=の葬儀が行われた=写真。若いときにはつるんで飲み歩いた。目が覚めたら粥塚クンの家だった、ということもある。頼まれて弔辞を読んだ。前段で次のようなことを述べた。
  ――7月24日、端正な面立ちで眠る粥塚クンと対面した。いつもの日常を過ごしていた粥塚クンが急に体調を崩し、帰らぬ人となった。その急変を想像すると言葉もないが、目の前の粥塚クンはとても穏やかな表情をしていた。

 去年(2019年)は粥塚クンの詩集『婚姻』を共同で仕上げるという得難い経験をした。今年は3月8日に、いわき市立草野心平記念文学館で詩人吉増剛造氏の講演会が企画されたが、これは吉増氏と交流のある粥塚クンがいたからこそで、粥塚クン自身も「聞き手」として参加することになっていた。残念ながらコロナ問題で講演会は中止になった。

 詩集『婚姻』は令和元年度いわき民報ふるさと出版文化賞の特別賞を受賞した。3月25日に授賞式が行われたが、それに続く祝賀会はやはりコロナ問題のために中止になった。これには私も出席を予定していたので、席を共にして喜べなかったことが今も残念でならない。

 そして今回、コロナとは無関係ながら、コロナを警戒する医療態勢のなかで、体調の急変を食い止めることができなかった。その意味では、私は2020年のコロナ問題とともに、粥塚クンの死を記憶することになると思っている――。

 喪主を務めた奥方(彼女も昔からの知り合いだ)によると、7月20日に発熱し、翌21日未明、苦しみながら亡くなった。最後は救急車でいわき市医療センターへ運ばれたが、間に合わなかった。急性心筋梗塞(こうそく)だったという。無念の死にはちがいない。

 コロナ問題が収束するどころか、東京を中心に第二波の様相を呈してきた。葬儀場も“3密”を避けるため、会場のイスを限定し、マスクを用意した。ほとんどの人はマスクをしてやって来た。どこのだれか、すぐわからない人もいた。相手がわからないときには、マスクをあごまでずらし、それで「おおっ」となる。

昭和40年代後半から10年ほど平で開業していた草野美術ホールの“同窓生” と一緒になった。結婚して商売を始め、子育てを終え、店を閉じた。あとは好きな美術に没頭しようと、再び絵筆を執った。私より1歳上のはずだから、今年(2020年)72か73歳だ。彼とはこの数年、美術のイベントでよく顔を合わせる。「朝起きたらすぐ、(私の)ブログを読む。アップが遅いと、前の晩に飲み過ぎたんじゃないか、なんて思う」。確かに、そういうときもある。

すでに鬼籍に入った人間の話になり、その数の多さにあらためて驚いた。同ホールの“同窓生”だけでも、画家の山野辺日出男、松田松雄、陶芸家の緑川宏樹、詩人の加瀬隆之、そして年下の林(松本)和利クン。

林クンは、高校で美術部に所属し、短大でデザインを学んだ。社会人になってからは「育児無死グループ展」を開催し、若い美術仲間と「スタジオCELL」を結成した。粥塚クンは実験的・挑戦的な彼らと交流があったのではないか。

生き残りの“同窓生”としては、コロナ時代であろうとなかろうと、日々、絵筆を執る、文章を書き続ける――それだけ。お互いそんな思いを再確認して葬儀に臨んだ。

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