2020年7月24日金曜日

絵本「せいだイモのはなし」

 岐阜の高山出身でいわきに住む峠順治さんから、山梨で発行された絵本『せいだイモのはなし』をいただいた=写真。高山、いわき、山梨、そして「せいだイモ」とくれば、ジャガイモと江戸時代の幕府代官中井清太夫だ。
 清太夫は天明8(1788)年から寛政3(1791)年までの3年間、幕領の小名浜代官を務めた。

その前は、甲斐国(山梨)の代官職にあった。天明の大飢饉(ききん)対策として、九州からジャガイモを取り寄せ、村人に栽培させた。それで、山梨ではジャガイモを「セイダユウイモ」、あるいは「セイダイモ」と呼ぶ人がいる。

小名浜でもジャガイモの栽培を奨励した。清太夫はその後、関東代官を経て飛騨に赴任する。高山周辺の年配者は今もジャガイモを「センダイイモ」と呼ぶ。いわきではどうか――。

 峠さんは高山、いわきの縁から「セイダユウイモ」の方言について調べ、高山市で年2回発行していた総合文芸誌「文苑ひだ」第13号(2017年7月)に、レポート「ジャガイモ考――いわきの方言にも『センダイイモ』があったよ」を載せた。その後も調査を続け、山梨から取り寄せた絵本の恵贈にあずかった。

山梨県の東端、上野原市の龍泉寺に「芋大明神」の碑がある。清太夫に感謝して、毎年、「芋大明神祭」が執り行われる。絵本「せいだイモのはなし」(文・丘修三、絵・西村繁男=2015年発行)は、お年寄りがジャガイモを「せいだイモ」と呼ぶいわれを、清太夫の事績を通じて伝える。

峠さんが絵本とともに届けてくれた資料によると、平成29(2017)年4月29日には、芋大明神祭と同時に、平和観音祭、東日本大震災の被災者追善法要も行われた。浜通りの浪江町から山梨県に原発避難をした人が話したり、「せいだイモ」などからつくった芋焼酎(「せいだ焼酎 芋大明神」)が紹介されたりした。

絵本の末尾に山梨の郷土料理「せいだのたまじ」の作り方が載っている。この料理は、福島県の「味噌(みそ)かんぷら」、高山市の「ころいもの煮付け」に似る。

「ころいもの煮付け」は醤油味だが、「味噌かんぷら」と「せいだのたまじ」は味噌味だ。東西の食文化の違いはあっても、未熟な小芋を捨てることなく、大事に、しかもおいしく食べられるようにと、庶民は工夫した。遠く離れた三つの地域だが、清太夫を介して似たような食文化が根づいて郷土料理になった。小芋料理の“清太夫サミット”くらいはできるかもしれない。

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