2023年12月27日水曜日

家の解体

 ここに何があったんだっけ? 街への行き帰り、決まった道を通る。更地になったところがある。どんな家が建っていたのか、思い出せない。夫婦でそんな話をするケースが増えてきた。

高度経済成長とともに核家族化が始まっておよそ60年。先祖伝来の田畑と家がある農山村、あるいは古くからの路線商店街にかぎらない。土地を買ってマイホームを建て、そこで一家を構えたニュータウンでも、少子・高齢化、そして過疎化が著しい。

子どもは大きくなって独立し、よそにマイホームを建てるか、マンションを求めるかして戻って来ない。

三世代家族が普通だった時代はとうに去り、古くなった家は親が守るが、その親もやがては彼岸へ渡る。

東北地方の太平洋側は、これに東日本大震災が加わる。さらに、いわき市内では令和元年東日本台風による家屋損壊が住宅の解体・更地化に拍車をかけた。

12年前、いわき市の沿岸部でも多くの人命と家屋が失われた。津波被害の及ばなかった内陸部でも、かなりの建物が損壊した。わが生活圏の風景も変わった。

それを被災2年後の拙ブログで確かめると――。古くからの通りにある家の周りにパイプで足場が組まれ、防塵シートが張られたと思ったら、たちまち解体されて更地になった。何軒か先の家も、日をおかずに解体された。

被災者の生活再建を支援する制度の一つに「損壊家屋等解体撤去事業」がある。「半壊」以上の判定を受けた家屋などについて、いわき市が所有者の申請に基づき解体・撤去を行う。

近所の家も再建するのにその制度を利用したのだろう。「災害復旧工事 基礎解体撤去工事中」の看板が立った。

次は3・11の1カ月後、2日連続していわき市南部を震源とする強烈な「余震」に見舞われた直後のケース。

わが家と道路をはさんで斜め向かいにある家の土蔵が解体された。311で傾き、4114・12でさらにダメージを受けた。

あとで丸太3本を支えにしたが、それは解体作業中に崩壊するのを防ぐための措置だったようだ.。

真壁の土蔵を板で囲い、瓦で屋根を葺いた、重厚だが温かみのある「歴史的建造物」だった。

ブロック塀で仕切られた駐車場が土蔵の東側に隣接してある。311以後、車の持ち主は塀から5メートルも離れて車を止めるようになった。

土蔵が崩壊すればブロック塀ごと車が押しつぶされる。容易に想定される事態だ。その危険性はひとまず解消された。

土蔵はやがて木造の物置に変わった。それに合わせて車道側の生け垣がブロック塀に変わった、先日、その物置から解体が始まった=写真。母家も含めて更地になるのだという。

毎日見てきた風景だから、残像がまだなまなましいが、やがてはどんな家で、どんな人が住んでいたか、も含めて、記憶から抜け落ちてしまうにちがいない。

 ましてや、行きずりの新しい更地などは「前に何があったんだっけ」となる。グーグルのストリートビューさえ、つかの間の記録にすぎなくなった。 

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