2023年12月21日木曜日

いわきの捕鯨史を知る

        
 いわき地域学會の第380回市民講座が12月16日午後、いわき市文化センターで開かれた。いわき市文化財保護審議会委員の田仲桂さんが「磐城平藩の捕鯨について――『磐城七浜捕鯨絵巻』に関する一考察」と題して話した=写真。

今年(2023年)5月、平沼ノ内の海岸にマッコウクジラの子どもが死んで打ち揚げられた。それをまくらに日本の捕鯨研究史を紹介しながら、「磐城七浜捕鯨絵巻」の研究課題などを論じた。

 まずは同絵巻について。市教委によると、絵巻は磐城平藩領内の捕鯨の様子を描いた作品で、「浜の巻」と「海の巻」の2巻がある。

江戸時代前期、磐城平藩を治めていた内藤家の子孫が所有していたが、平成4(1992)年、いわき市に寄贈し、翌年、市の文化財に指定された。

 前に何度か公開されたことがある。クジラを追い、クジラと格闘する漁民だけでなく、南北に貫く街道には町や村、山や川が描かれている。

 田仲さんは絵巻を分析することから話を始めた。「磐城七浜捕鯨絵巻」や「浜の巻」「海の巻」といった名称はすべて後付けで、江戸時代、この絵巻(絵図)がどう呼ばれていたかは明らかになっていない。

 もとは絵巻ではなかった。虫食いのあとから、折りたたまれて保管されていた。さらに、塗り残しと思われる個所が多いので、絵は未完成と考えられる、ともいう。

 絵画作品の性質として、描かれているものがそのまま史実を表しているとは限らない。歴史資料として活用する場合は制作の目的や背景、描写内容の精査が必要――といった「史料批判」には大いに納得がいった。

 そうした課題を踏まえたうえで、磐城平藩を中心にしたいわき地方の捕鯨史を紹介した。

 海で生きて泳いでいるクジラを銛(もり)で突いて捕らえることを「鯨突(くじらつき)」と呼び、負傷したり死んだりして海をさまよい、あるいは岸に漂着したクジラを「寄鯨(よりくじら)」という。5月のマッコウクジラは「寄鯨」だろう。

 クジラに関する磐城平藩の古い史料は、寛永16(1639)年の寄鯨に関するものだった。

 同藩で鯨突が始まったのは慶安3(1650)年、房州磯村の権兵衛がその技術を伝えたという。

 同年12月19日、江名浜で長さ7尋(ひろ=約10.5メートル)のクジラが捕獲される。これが磐城平藩領内初の鯨突だった。

 これ以前は寄鯨のみだったが、以降は鯨突が増えていく。寛文9(1669)年と延宝6(1678)年が突出して多い。

時期は冬、12~1月に集中している。場所としては四倉、中之作、小名浜、江名、久之浜の順、とまあ、市民には興味深い話が続く。

 絵巻に戻れば、制作依頼者は内藤義概(俳号・風虎)、制作場所は江戸、絵師は狩野派といった仮説が立てられるそうだ。

 講義が終わってからの質疑応答がまたおもしろかった。ハマに住む人にとっては、今に通じる話であることがよくわかった。

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