2023年12月6日水曜日

「民藝」展を見に

                     
 いわき市立美術館で「民藝」展が開かれている=写真。10月28日に開幕したが、いつでも行けると思っているうちに閉幕(12月17日まで)が近づいてきた。

 一度見に行ったカミサンに促されて、日曜日(12月3日)の昼、夏井川渓谷にある隠居の畑でネギを収穫したあと、美術館へ直行した。

 「民藝」は「民衆的な工芸」のことで、手仕事が生み出した日用品に美を見いだす考えが根底にある。およそ100年前、柳宗悦(やなぎ・むねよし)が提唱した。

 「衣食住」でいうと、「衣」は丹前・襦袢(じゅばん)・蓑(みの)・着物など、「食」は鉢・皿・湯飲み・猪口(ちょこ)など、「住」は箪笥(たんす)・椅子(いす)・行燈(あんどん)・自在鉤(じざいかぎ)など。その他さまざまな暮らしの用具が展示されている。

 「福島の民藝」の一つとして、会津本郷焼の「黒釉(こくゆう)湯たんぽ」があった。カミサンがこれを持っている。この湯たんぽを見せたくて私を引っ張って行ったようだ。

大正~昭和初期の文化関係の本を読んでいると、時折、「民藝」という言葉に出くわす。柳宗悦の文章を読んだこともある。

それもあって、ふだん使っているご飯茶わんやぐい飲みをはじめ、陶器や衣類、小物などにも、「用と美」を考えることがある。つまりは「好み」が出る。

 「住」のコーナーに展示されていた角(かく)行燈には、懐かしさと同時に違和感を覚えた。

 懐かしさは、子どものころ、母の実家へ泊まりに行くと、夜の明かりは石油ランプと角行燈だったことによる。

 違和感は、その大きさだ。私が小さかったからかもしれないが、行燈はもっと長く大きく見えた。展示物は意外と小さい。私が小さいころ目にした行燈とは違うのだろう。

 阿武隈高地の鎌倉岳のふもと、都路村(現田村市都路町)の小集落に「バッパ(祖母)の家」があった。小学4年の春休み、一人でそこへ泊まりに行った。

 それまでにも、母親と一緒に泊まったことはある。ランプがつくる自分の大きな影におびえた記憶もある。

枕元には角行燈が置かれた。角行燈は、江戸時代に最もよく使われた屋内用の明かりで、周りは和紙で囲われており、中に火皿が置かれている。

 ふだん暮らしている自分の町の家々には電球がともっていた。電球が当たり前の世界から、突然、ランプと角行燈の世界にタイムスリップしたような感覚が胸に残った。昭和30年代前半のことだった。

当時は個人の自己負担が大変だったらしく、たった1軒のために電柱を立てて電線を引っ張る、などということは考えられなかったのだろう。その意味では、「バッパの家」は、毎日がキャンドルナイトだった。

「バッパの家」は、風呂と便所が同じ屋根に囲われて外にあった。風呂には提灯(ちょうちん)を提げて行った。

夜が更けると、満天の星。そして、向かい山からはキツネの鳴き声。ランプと角行燈の次にはそんな情景が途切れることなく広がる。

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