2024年5月14日火曜日

図案家鈴木百世

                      
 5月7日付のいわき民報1面記事=写真=には驚いた。昭和17(1942)年、42歳の若さで亡くなった図案家がいわきにいた。その孫が遺作を市立図書館と暮らしの伝承郷に寄贈したという。

 「常磐炭田鳥観図(ちょうかんず)」や平七夕祭りのポスター、地酒のパッケージなどの原画が、ほぼ当時のままの状態で残っていたというから、よほど保管状態がよかったのだ。

 鈴木百世(ももよ=1901~42年)。今風にいえば、商業美術を手がけるグラフィックデザイナーだ。

 記事によると、鈴木百世は平で生まれ、豊島師範学校(現東京学芸大)で美術を学び、東京の小学校で教鞭をとった。

 体調を崩して帰郷し、昭和10(1935)年、商業広告などを手がける「図案社」を設立した。同15年には再び教壇に立ち、2年後に倒れて、暮れには亡くなったという。

 図案家としての仕事はわずか4年ほどだったが、手がけた作品はかなりの数に上る。それを遺族(妻と長男)が大切に保管してきた。

 その長男の娘が、父と祖母の死後、実家の片付けをしているうちに、祖父の遺作を見つけた。

 「常磐炭田鳥観図」は、たとえば『いわき市史別巻 常磐炭田史』(1989年)の口絵に、二つに分割・拡大されて掲載されている。

が、原図の作者が鈴木百世だとはどこにも書いてない。この鳥瞰図から原作者を思い浮かべる読者はいないだろう。

もうひとつ。いわき駅前の総合図書館で、平成29(2017)年12月15日から同30年5月27日まで、常設展「鳥観図と地図に見る『平市』――平市誕生80周年・いわき市誕生前夜譚」が開かれた。その鳥観図「平市と附近景勝案内」(1937年)は、原作者が鈴木百世だった。

いわき市立図書館のホームページから「郷土資料のページ」を開き、「企画展示」をクリックすると、この作品が見られる。

鈴木百世は、『いわき市史第6巻 文化』などでも触れられていない、という意味では「忘れられた図案家」だ。

素焼きの人形に着色した「じゃんがら人形」の売り出しにも力を入れたそうだが、これが成功していれば、今も郷土の工芸品としていわきのお土産の一つになっていたのではないだろうか。

昭和12(1937)年6月1日、平町が平窪村と合併して「平市」が誕生したときには、東京日日新聞が市章を募集し、1等のほかに佳作10人が入賞した。

結果を報じた地元の磐城時報(昭和12年5月24日付=23日夕刊)によると、鈴木百世は佳作の筆頭、そして佳作の3番目には長男・哲夫の名がある。

いわき民報の記事には、図書館が「遺作集の調査分析などを進め、今後の展示に役立てていく」とあった。

「じゃんがら人形」や平市章応募のエピソードなども含めて、「図案家鈴木百世の仕事と思想」を紹介する企画展を、ぜひ早く。

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