2024年5月30日木曜日

歴史探偵の本のエキス

                              
 店の一角でカミサンが地域図書館「かべや文庫」を開いている。月に1回、移動図書館「いわき号」がやって来て、借りる本を更新する。

 今回はどんな本を選んだのかな――。およそ30冊ある本の背表紙をながめていたら、半藤一利さん(1930~2021年)の『歴史と戦争』(幻冬舎新書、2018年)があった=写真。

 借りて読んでいるうちに、最近、陸上自衛隊のある連隊がSNSで「大東亜戦争」という言葉を使い、のちに削除したことを思い出した。

 『歴史と戦争』は、半藤さんが90歳で亡くなる3年前、80冊以上の著書から日本の戦争に関する文章を抽出し、同時に幕末以降の近代史の流れを浮き彫りにするという、ちょっと変わったスタイルの本だった。

 いわば、半藤さんの本のエキス、思想の源でもある。女性編集者2人の連係プレーで、本人も「ウヒャー」と驚くような新書ができた。

 「大東亜戦争」に関する見解が明快だ。当時のリーダーたちは「大東亜戦争」という言葉を、表と裏で使い分けていたという。

「対米英戦争は、アジアの植民地解放という崇高な目的をもった戦いであった、ゆえに大東亜戦争と呼称すべし」。時折、抗議の手紙が届いた。

これに対して半藤さんは、昭和18(1943)年5月の御前会議で決定した「大東亜政策指導大綱」第6項を例に挙げる。

「マレー・スマトラ・ジャワ・ボルネオ・セレベス(ニューギニア)は、大日本帝国の領土とし、重要資源の供給源として、その開発と民心の把握につとめる。……これら地域を帝国領土とする方針は、当分、公表しない」

半藤さんはそのあと、舌鋒鋭く断罪する。「アジア解放の大理想の裏側で、公表できないような、夜郎自大な、手前勝手な、これらの国々の植民地化を考えていた。この事実だけは、二十一世紀への伝言として日本人が記憶しておかねばならないことなのである」

「夜郎自大」は、自分の力量を知らない人間が、仲間の中で大きな顔をしていい気になっていることをいう。原文は『昭和史残日録 1926―45』に収められている。

満州国とモンゴル共和国の国境線をめぐってソ連軍と戦い、日本軍が敗退した「ノモンハン事件」については、学ぶものが5つあるという。

「当時の陸軍のエリートたちが根拠なき自己過信をもっていた」「驕慢なる無知であった」「エリート意識と出世欲が横溢していた」「偏差値優等生の困った小さな集団が天下を取っていた」

そして、最後の5番目。「底知れず無責任であった」。これは今でも続いている、という。

「大東亜戦争」の言葉の裏にも通じる、リーダーたちの身勝手さと無責任さ。半藤さんが繰り返し指摘してきたことは、実はこれだったのかと納得がいった。

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