2024年9月24日火曜日

能登・珠洲の塩

                             
 先日、若い元同僚が能登半島のお土産を持って来た。半島の突端、珠洲市でつくられた食塩で、「のと珠洲塩(一番窯)」という名前が付いている=写真。

 能登半島では今年(2024年)1月1日、最大震度7の巨大地震が発生した。内閣府によると、8月21日現在、死者は341人(うち災害関連死112人)、住宅被害は全・半壊、浸水、一部損壊12万7千戸弱に及ぶ。電気・ガス・上下水道のライフラインと道路・鉄道の交通網も寸断された。

 そのとき(元日の夕方)、いわき地方もかすかに揺れた。コロの上で家が前後に動くような感じだった。

すぐテレビをつけて、震源は能登半島であることを知る。緊急地震速報が繰り返し流れ、津波注意報と警報、やがて大津波警報が発表された。

「テレビを見てないで逃げてください」。女性アナウンサーが切迫した声で呼びかける。尋常ではない様子に3・11を思い出して胸が騒いだ。

能登半島を訪ねたことはない。が、若いとき、ランボーと同時代を生きたロートレアモン(本名/イジドール・デュカス=1846~70年)に引かれ、散文詩集『マルドロールの歌』(栗田勇訳)を買って読んだ。

ロートレアモンをもじって「能登亜門」というペンネームを使って文章を書いたこともある。無関心ではいられない。

 東日本大震災とその後の水害では、全国各地から支援の手が差し伸べられた。その恩返しの意味もある。いわきで、さらにはいわきから能登へ出向いて被災者を支援する動きが続く。

元同僚はその取材のために、いわきから能登まで車で往復した。片道700キロ、往復1400キロのドライブはきつかったという。

 別の製塩会社のリーフレットも置いていった。「あげ浜式製法」(国指定無形文化財)と「流下式製法」が写真付きで載っている。

あげ浜式は――。砂を薄く広げて筋目をつくり、そこへ海水をまく。砂が乾いたら、板で囲った「たれ舟」に集めて入れる。

たれ舟に海水を注ぐと砂の塩分が溶け、たれ舟の穴に塩分濃度10~20%のかん水がたまる。このかん水を平窯で煮詰め、余分なにがりを抜いて純白な塩に仕上げる。

製塩職人が海水をまく写真もあった。「しおくみ三年 しおまき十年」だという。能登半島を舞台にした朝ドラ「まれ」が放送されたとき、田中泯が製塩職人を演じた。その俳優とリーフレットの職人が重なった。

 元同僚からはこのところ、お福分けが続く。5泊6日の入院前には「福島へ行ってきたから」とモモをもらった。退院後もモモを持って来た。

能登の塩は何に使おうか。まずはちょっとなめてみる。きめが細かいというか、深みのある味だ。ミネラル分が効いているのだろう。

土曜日(9月21日)、握り飯あたりから試すか――などと考えていたら、テレビは能登半島の大雨被害を伝えていた。

日曜日に続き、月曜日も新聞は能登の豪雨を大きく報じた。停電・断水、死者6人、仮設住宅浸水……。また大災害が襲うとは。

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