シャプラニール=市民による海外協力の会は、主にバングラデシュとネパールで活動を続けている。日本の国際協力NGOとしては草分け的な存在で、2022年に結成50周年を迎えた。
会の活動は、独立直後のバングラデシュに日本の若者が農業支援のために派遣されたことに始まる。
若者たちは帰国後、シャプラの前身である「ヘルプ・バングラシュ・コミティ」を立ち上げる。そのメンバーの一人がいわき出身の朋友だった。
それで、どんな活動をしているのかは最初期から承知している。その後、カミサンが会員になり、私はマンスリーサポーターになった。
東日本大震災では初めて国内支援に入り、いわきを拠点に、5年にわたって交流スペース「ぶらっと」を開設・運営した。
バングラの首都・ダッカにはシャプラの事務所がある。現在の所長は、3・11支援でいわきに入り、わが家にもよく顔を出したU・Tさんだ。
彼女から、会員とサポーターにバングラの現状を伝える便りが届いた=写真。手紙には政権崩壊直後、街なかの壁に、自由に自分たちの思いを表現する学生たちの写真が同封されていた。
同国の政変は新聞やテレビで知るだけのため、いまひとつよくわからなかった。Uさんの手紙で、やっと市民の視点から政変をどうとらえたらいいのか、手がかかりを得られた思いがする。
8月5日は、15年にわたって政権を握ってきたシェイク・ハシナ首相が辞任を迫られてインドに亡命した、歴史的な日になったという。
辞任に至るきっかけは、7月初めに始まった学生たちによる公務員雇用制度の改革を求めるデモ活動だった。
デモ活動は次第に政党支持者間の抗争という様相を帯びて激しくなり、将来を期待された多くの若者の命が奪われた。
ひとつの政党、ひとりの首相による長期政権が続き、人々は政治にあきらめを抱いているのかと感じていたが、大学生を中心とした若者はそうではなかった。
首相辞任の報を受け、多くの人たちが歓喜にわいた翌日、学生たちは率先して街を掃除し、警察が一時的に機能しなくなったときには交通整理を始めた。
Uさんは、学生たちは大人たちよりも冷静に、そして信念を持った行動をしている印象を受けたという。
抗議活動のリーダーのうち、2人が暫定政権のアドバイザーに選ばれるなど、これから「新しいバングラデシュ」が始まるという期待を抱かせてくれる、とも書いていた。
「暫定政権から新しい政権が誕生するまで、少し時間はかかるでしょう。今回の学生たちの行動や彼らの信念を潰すことがないよう、私たちは新たなバングラデシュを共に築いていきたい、と思っています」
政変に追い打ちをかけるように、バングラでは大洪水が起きた。シャプラは通常の活動のほかに、水害の緊急支援活動も行っている。
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