2024年9月9日月曜日

生誕140年の暮鳥と夢二

            
 いわき駅前の総合図書館で、令和6(2024)年度前期常設展「生誕140年記念 三猿文庫の中の山村暮鳥と竹久夢二」が開かれている=写真(解説資料の表紙)。

 暮鳥と夢二はともに明治17(1884)年生まれで、今年生誕140年の節目を迎えた。2人の間に交流があったかどうかはわからない。が、それぞれがいわきに足跡を残している。

 拙ブログでも何度か取り上げているので、企画展の内容に沿ったかたちでそれを再構成してみる。

 まずは三猿文庫から。いわきが誇る私設図書館で、昭和9(1920)年、大学を卒業して帰平し、家業に就いた諸橋元三郎が私財を投じて開設した。

夫妻と長男(いわき商工会議所会頭)の3人が不慮の死を遂げたあと、遺族から3万点余に上る文庫の資料がいわき市に寄託された。

草野心平記念文学館で資料の整理、目録作成が行われ、同文学館で「三猿文庫――諸橋元三郎と文庫の歩み」展が開かれた。

このあと、資料は市立図書館に所管替えとなり、ラトブに総合図書館がオープンすると、いわき資料フロアの一角に「三猿文庫」コーナーが設けられた。

暮鳥は大正元(1912)年9月、日本聖公会の牧師として平講義所にやって来た。いわきでは「文学の伝道師」という意味合いが濃い。暮鳥のまいた詩の種がやがて芽生え、育ち、開花した。

そこから三野混沌、猪狩満直、草野心平、そして作家の吉野せいらが育った。今につながるいわきの近代詩史はこの暮鳥から始まる。

 そして、夢二。福島県とはゆかりが深い。18歳で早稲田実業学校に入学したとき、同級生に3歳年下の助川啓四郎(現田村市船引町出身、のちの代議士)がいた。

 彼のネットワークに支えられて、福島・郡山・会津若松・三春などの地に知りあいができた。

夢二は大正10(1921)年の8月中旬~11月下旬、県内を主にみちのくに滞在した。その折、いわきの湯本温泉を訪れて山形屋旅館に一泊している。

それに先立つ明治40(1907)年、夢二は読売新聞に入社し、「涼しき土地」の取材で初めてみちのく入りをした。

松島からの帰途、夢二は浜通りを南下する。久之浜で汽車を下り、人力車で四倉へ行き、再び汽車を利用して湯本温泉の松柏館に一泊した。

市立美術館で竹久夢二展が開かれた際、山形屋旅館にあてた書状が展示された。夢二は旅館特製の黄八丈の丹前が気に入り、後日それを譲り受けた。それへの礼状だった。

黄八丈の和服姿の女性が黒猫を抱いている「黒船屋」は、大正8年に制作された。夢二の代表作の一つだ。夢二の黄八丈好みが、山形屋の話からもうかがえる。

総合図書館の企画展では、三猿文庫の所蔵資料の中から、出版当時の2人の作品を展示している。

同展の狙いは、いうならば「地域の文化遺産」でもある三猿文庫を再認識してもらうことにある。

私などは絶えず、デジタル化された地域新聞(三猿文庫蔵)の世話になっているので、そのありがたさを痛感している。

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