クリスマスムードに包まれていた12月22日の日曜日。雪がふっかける夏井川渓谷の隠居を早々に退散し、いわき駅前・ラトブの地下駐車場にもぐり込んだ。
私は4階の図書館へ。カミサンは3階にある店をぶらつくというので、あとで3階の店で合流することにした。
本の返却と貸借をすませ、エスカレーターに乗ると、カミサンが下り口で待っていた。「こっち来て」。ん、なにかあるな。
ワケもわからずついて行くと、急ごしらえの撮影スタジオがあった。撮影の背景として上から白く大きな幕が張られている。
もらったチラシには「福島スマイルプロジェクト」「福島からみんなに笑顔を届けよう」とあった。
無料撮影会だという。3階をぶらついていたカミサンがスタッフに声をかけられ、おもしろがって応じたのだろう。
靴を脱いで、夫婦で白い幕の前に立つと、カメラマンから声がかかった。「肩に手を置いて」「腕をつかむようにして」
えっ! ふだんしたこともない指示に、夫婦で大笑いしながら立っていると、「はい、終わりました」。そうか、チラシにあったように、笑顔が狙いだったか。
展示用とは別にプリントアウトされたカラー写真をもらって、カミサンがつぶやく。「遺影に使えるわ」(私は胸の中だけで「イエ―ッ!」と叫ぶ)。
カメラマンはプロの市川勝弘さん(静岡県出身)という人だった。平成23(2011)年12月に写真集『FUKUSHIMA――福島県双葉郡楢葉町 1998―2006』を出している=写真。
市川さんの奥さんは楢葉町出身で、結婚以来、年に1~2回は互いの実家に帰省していたそうだ。
奥さんの実家は専業農家で、家のまわりにはありふれた農村風景が広がっていた。写真的には中途半端な、とりたてて撮るものもない場所ながら、「定点観測」のつもりで田んぼや家族、家の中のものなどを撮り続けたという。
ところが……。双葉郡内にある東京電力福島第一原子力発電所が、東北地方太平洋沖地震、いわゆる3・11の大津波を受けて電源を喪失し、原子炉建屋の爆発をおこす。
住民はたちまち避難を余儀なくされた。以来、楢葉のありふれた農村風景が、日常が「別の意味」を持つようになった。
写真集をその年のうちに出そうと決めたのも、日常がいかに大切なものだったかを伝えたかったからだろう。
ネットであれこれ検索してわかったのだが、福島スマイルプロジェクトは、「福島から――」だけでなく、「福島に笑顔を届けよう」というイベントも行っているようだ。
突然の撮影会に加わり、写真集をめくりながら、福島の3・11を今も心にとめている人がいることをうれしく思った。
展示用の写真の言葉を「何にする」とカミサンがいうので、「『みんなありがとう』がいい」と応じた。いわきを、浜通りを、福島県を応援してくれている人への感謝の意味を込めた。
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