古巣の新聞・いわき民報に「読者のページ」がある。12月23日付の同欄には驚いた。見出しの一つに「磐城蘭土紀行を読んで」とあった=写真。
いわき市中央台に住む匿名の方の投稿だった。ありがたいことに、「『朝刊いわき民報』を楽しく拝読しております。中でも『磐城蘭土紀行』を一番にワクワクしてページをめくっています」という。
拙ブログを「朝刊発磐城蘭土紀行」(前は「夕刊発――」)と題するコラムとして、同紙に転載している。取捨選択は編集者が判断する。その連載コラムの感想だった。
ご本人は自宅の庭で野菜を栽培しながら、日々生長する緑に元気をもらっているという。
私は日祝日を除いて毎日、ネットにブログを投稿する。題材は主に家庭菜園を含む季節の移り行きや植物、野鳥、キノコなどだ。
日曜日ごとに夏井川渓谷の隠居へ通い、そこで見聞きしたものを材料にすることが多い。一方で、文芸や漬物のことなども取り上げる。
それが活字にもなって、ネットの読者とは別の、リアルな読者の目に触れる。自宅庭での野菜づくりが下地になって、私のコラムにまで共感の根っこを伸ばしてくれたのだろう。
文章から推察するに、同世代(もちろん幅広くとらえている)、それも女性の方だろう。というのは、直接、電話や手紙・はがきで、あるいは人づてに似たような感想を伝えてくるのは、すべて女性だからだ。
なぜそうなのかはたぶんはっきりしている。現役も現役、30代のころから一般取材のほかに、コラムを書くようになった。
すると、「男の視点ね」。頭でっかちの「ねばならない」論を、いつもカミサンから批判された。
天下・国家より野菜の値段が大事――。個別・具体の「主婦のおしゃべり」に耳を傾けるようになってから、男とはまた違った社会の情景が見えるようになった。
以来、カミサンの一言で、あるいは主婦=女性の視点でコラム(今はブログ)を組み立てることが多くなった。
しかも、新しい事象は地域の片隅から始まる。一例が大震災と原発事故だった。
いわきのコミュニティ(地域社会)では、みずから被災しながらも避難民を受け入れるという事態に見舞われた。リクツより行動、という点では主婦にかなわなかった。
一般論としても、国や地方自治体の政策が具体的なかたちとなって現れる場所がコミュニティだ。
中央から見て末端にあたるところは時代の先端でもある。日常のできごとはニュースにならない。ならば、コラム(ブログ)で日常を記録し続けようというのが、私の基本な考え方だ。
読者の投稿は「どうかこれからも隠居通いの楽しい紀行文を期待しております」という文章で締めくくられていた。
こうした声を励みにして頑張りますので、今後ともご愛読のほど、よろしくお願いします。
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