シリアの内戦はこのところニュースになることがなかった。それが師走になって急に動き出した。
反政府勢力がシリア第2の都市・アレッポを制圧した。「え、またアレッポが戦火に見舞われたの?」。それが始まりだった。
反政府勢力はその後、あっという間に首都のダマスカスを掌握し、アサド政権は崩壊した。大統領一家はロシアに亡命したという=写真(12月10日付の新聞)。
オリーブオイルとローレルオイルでつくられた「アレッポのせっけん」を愛用している。それが一つ。
そして、もう一つ。2011年1月、シリアで内戦へと至る騒乱が始まった。その1カ月半後、日本では大地震と大津波、原発事故が起きた。
庶民レベルでいえば、ほぼ同時期に生活の破壊と生存の危機に見舞われた。私のなかではこの二つが重なって、シリア内戦は他人事ではなくなった。
翌2012年、反政府勢力がアレッポを掌握した。フランス通信社によると、2016年にロシア軍の支援を受けた政府軍が奪回するまで、4年にわたり戦闘が繰り広げられた。
せっけん工房が多数あるアルナイラブ地区もこの戦闘で大打撃を受けた。製造業者は内陸部のアレッポを脱出し、トルコやシリア国内の別の都市でせっけん製造を続けた。
しかし、アレッポほどのせっけんはできない。そう判断した業者が、政府軍が奪回したアレッポに帰還して工房を再開した。
そうした経緯を経ながらも、輸入業者の踏ん張りでなんとか「アレッポのせっけん」を使い続けている。
内戦の犠牲者はシリアで暮らす庶民である。国内のほかの土地へ、あるいは国外へと、庶民は避難を余儀なくされた。
私たちも原発事故では避難を強いられた。それもあって、内戦勃発の当初から「避難民」と「難民」の違いについて考えさせられた。
避難生活をどこで送っているか。国内か国外かで呼び方が違うことを知った。ニュースもこの点を踏まえているようだ。
12月10日付の県紙(共同電)には、シリアの国内避難民は670万人、国外への難民は660万人以上とあった。
全国紙の社説には「人口のほぼ半分の約1200万人が家を追われた。うち500万人は国外で難民となっている」とあった。国外避難は「難民」、国内避難は「避難民」というわけだ。
同じ年の3月に発生した原発事故では、十数万人が原発避難をした。いわきに住む人間も、市のアンケートによれば、半数が避難した。
避難した日は3月15日がピークで、津波被災者が避難したあと、一気に市外へと原発避難が行われた。
アサド大統領が去って、難民・避難民が帰還する動きがあるとテレビは伝える。が、これからどうなるのか。
庶民の生活の破壊と生存の危機が再びニュースになるような事態にならなければいいが――心からそう思う。
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