師走最初の日曜日(12月1日)は朝、国道6号~49号から差塩(三和町)の山を越え、川前から夏井川を下って渓谷の隠居へ行った。
いつもの「直売所めぐり」とは逆のコースだ。師走に入ったので、三和の直売所で買い物をと、まずは国道49号を駆け上がった。
差塩は標高が500メートル前後と高い。道沿いの林はコナラなどが黄土色っぽい黄葉をまとっていたほかは、あらかた落葉していた。
差塩から夏井川へと狭くて急な山道を下ると、宇根尻(川前町)の里山が見えた=写真上1。
刈り田の先に夏井川と県道、そして里山、写真には写っていないが右手の道沿いには家々が並ぶ。その山はあらかた雑木林で葉を落としていた、
雑木林にはカエデ類もあるはずだが、遠目にはよくわからない。川を渡って渓谷に入ると、カエデの赤が目立つようになった。
道路の両側には落ち葉が積もっている。カエデが多いところは、視界全体が暖色で染まったような感覚になる。
カエデの赤もさまざまだ。すっかり色あせたものがある。カミサンにいわせると、見事な「深紅」がある。「バーニングレッド」(燃え立つような朱色)もある。
身を燃やすような赤の絢爛が消えて白骨の殺風景になると、決まって鮎川信夫の詩「落葉樹の思考」を思い出す。
が、谷沿いのカエデの赤は次の日曜日、つまり師走半ばあたりまでは見られそうだ。そのカエデも落葉すると、いよいよ鮎川信夫の詩の世界に変わる。
この短詩は「春から夏にかけて/芽を出し、枝をひろげ/花を咲かせた樹木が/いま、別れを告げようとしている。」で始まる。
「生命の奔流は丘をくだり/黄昏の寒い灰色の/死の季節がやってくるから/自分自身と世界とに別れを告げるときがきた、/生命の一循環を終えたのだから/生れかわるためには、死なねばならないと、/根が考え、幹が感じている。」
それが落葉樹の思考の「根幹」だ。「そうして、秋風に身ぶるいして/落葉の雨を降らせている。」。「落葉の雨」は今、コナラやカエデを残すだけといってもいい。
隠居の庭も草がきれいに刈り払われた=写真上2。後輩が年に3回、軽トラに草刈り機を積んできて、上と下の庭を“散髪”してくれる。
3回目はやや遅れて11月下旬になった。それでかえって、年末年始を前にさっぱりした気分になった。
隠居の対岸の林は、師走だというのにまだ赤みが残っている。が、行楽客はほぼ絶えた。季節の直売所も店じまいをした。
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