なにかの本に紹介されていたので、図書館から借りて読んだ。エリザベス・トーヴァ・ベイリー/高見浩訳『カタツムリが食べる音』(飛鳥新社、2014年)=写真。
著者は原因不明の難病で寝たきりになる。病床の慰めにと、友人が野生のスミレを鉢に移して持ってきた。スミレの葉の下には、やはり森で拾ったカタツムリが1匹。
そのカタツムリがある日、鉢からはい出して手紙に丸い穴を開ける。それに気づいた著者は俄然、カタツムリの行動に興味を持つ。
カタツムリは夜になると鉢の側面を伝って下りてくる。ある晩、ベッドのかたわらの花瓶から、しおれた花弁を鉢の下の皿に置いてみた。カタツムリは花弁を見ると、興味深そうに調べ、そして食べ始めた。
「わたしはじっと耳を傾けた。すると、カタツムリが食べている音が聞こえるではないか。何かとても小さな生き物が、せっせとセロリを食べているような音だった」
カタツムリの食事の音を聞いているうちに、著者の胸中にはカタツムリとの仲間意識が芽生える。
著者はやがて介護士に頼んで大きな水槽を置き、野生の植物が茂るテラリウムにして、そこにカタツムリを移した。
カタツムリは既に別のカタツムリと出合って、産卵が可能な状態だったらしい。やがて卵を産み、子どもが孵る――。
こうしてカタツムリの形態と生態の観察が続き、カタツムリへの愛が深まる。
著者の闘病生活はほとんど20年間に及んだ。カタツムリの観察後、初めてカタツムリに関する研究書などを読み漁り、カタツムリとの1年間のやりとりを詳細に記録した。それが本書だ。
同じアメリカで出版され、日本語に翻訳された本に、ディーリア・オーエンズ/友廣純訳『ザリガニの鳴くところ』(早川書房、2020年)がある。この本は知人から届いて読んだ。
「ザリガニの鳴くところ」というタイトルが変わっている。「カタツムリが食べる音」も、タイトルに引かれた。
ふだんは気にも留めない小動物の鳴き声や食べる音に注意すると、何が見えてくるのか。たとえば、「アリが歩く音」とか、「トンボのささやき」とか……。
長くいわき市立草野心平記念文学館長を務めた故粟津則雄さん(文芸評論家)は、心平の特質のひとつはひとりひとりの具体的な生への直視にある、と述べた。それは人間だけでなく、動物・植物・鉱物・風景にも及ぶ。
そう、『カタツムリが食べる音』も、相手への直視=共生観がベースになって、豊かな世界を生んだ。
著者は本の最後にこう述べる。「幸運にもいま、わたしたち人類は地球で軟体動物と共生している――彼らの長い歴史に比べれば、わたしたち人類はつい最近登場した青二才」でしかない。この自覚が腑に落ちた。
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