先日、変な夢を見た。「トラウマとは何?」と誰かが問い、しばらく考えて出した答えが「トラとウマ」だった。
答えたのは私で、今の私なのか、子どもの私なのかははっきりしない。トンマな夢から覚めて、ちゃんと言葉の意味を探ってみた、
トラウマとは「個人では対処できないほどの圧倒的な体験によって生じる心の傷」だという。日本語に訳せば「心的外傷」だ。
小・中学生のころ、蒸気機関車が地平線の向こうから驀進(ばくしん)してくる夢をよく見た。全く同じ映像で、列車にひかれそうになったところで目が覚める。
怖い夢には違いないのだが、なぜいつも蒸気機関車が煙を吐いてやって来るのか、不思議でならなかった。
若いころ、夢を分析して思ったのは、根っこには小学2年のときの大火事体験があるのではないか、死への恐怖が蒸気機関車となってフラッシュバックのように襲ってくるのではないか、ということだった。
阿武隈高地の常葉町(現田村市常葉町)で生まれ育った。西の郡山市と東の双葉郡を結ぶ国道288号沿いに家がある。
2年生になって間もない昭和31(1956)年4月17日の夜7時10分。東西に長く延びる一筋町にサイレンが鳴った(いわき地域学會の『かぼちゃと防空ずきん』に大火事のときの手記を載せた。以下はそれからの抜粋)。
――火事はいつものようにすぐ消える。そう思っていた。が、通りの人声がだんだん騒がしくなる。胸が騒いで表へ出ると、ものすごい風だ。
黒く塗りつぶされた空の下、紅蓮の炎が伸び縮みし、激しく揺れている。かやぶき屋根を目がけて無数の火の粉が襲って来る。炎は時に天を衝くような火柱になることもあった。
パーマ屋のおばさんに促されて裏の段々畑に避難した。烈風を遮る山際の土手のそばで、炎の荒れ狂う通りを眺めていた。やがてわが家にも火が移り、柱が燃えながら倒れた――。
大火事体験からざっと40年後、阪神・淡路大震災がおきた。そのとき、なぜか大災害のその後を知ってほしくて、常葉大火の被災地図(黒く塗られた部分)=写真=をかいて、ある集まりでしゃべったことがある。
どこかで大災害が起きると、つい7歳のときの体験を思い出して胸が騒ぐ。国の内外を問わない。北海道南西沖地震(奥尻島)、酒田大火、糸魚川大火、中越地震、近年の水害、ウクライナ戦争、ガザ(パレスチナ)……。どこの災害現場にも「7歳の私」がいる。
東日本大震災では原発避難を前に、「人生で二度も避難を経験するのか……」と観念した。
アメリカ・ロサンゼルスの山火事にも、岩手・大船渡の山火事にもやはり「7歳の私」がいる(賢治よ、早く「あめゆじゅ」を降らせてくれ)。
7歳では泣かなかった「こころ」が、47歳のとき、阪神・淡路大震災の被災者を思って泣いた。東日本大震災では、泣くだけでなく震えた。
ロスと同じく大船渡でも民家が炎に包まれた。私の胸の奥ではトラが暴れ、ウマが疾走している。
0 件のコメント:
コメントを投稿