2024年6月4日火曜日

球技大会

          
 6月に入るとすぐ大きな行事が続く。春のいわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動(清掃デー)。そして、神谷地区対抗球技大会(男性・ソフトボール、女性・バレーボール)。

これが6月最初の日曜日にだぶって開かれる。今年(2024年)は幸い、1週間のずれができた。球技大会、2日。清掃デー、9日。

 保健委員を兼務する区の役員としては、球技大会は主催者の一人であり、清掃デーは役所に報告するための調査の担当者でもある。

 朝6時半からの清掃デーでは、まず参加人数をざっとつかむ。そのあとすぐ7時から、近くの公民館で球技大会の会場設営の準備に加わる。

 会場は一つ丘を越えた昌平中・高校グラウンドと体育館だ。午前8時には開会式が行われる。

 開会式の合間に区へ戻り、清掃デー用に決められた集積所を巡って、ごみの種類や袋を数える。

コロナ禍による中断をはさんで、前期高齢者から後期高齢者へと年を重ねた。すると、体力面でも、気力の面でも掛け持ちをするだけの粘りがなくなった。

去年は、ごみ類のカウントだけを別の女性役員とカミサンに頼んだ。カミサンと役員は旧知の間柄だ。

球技大会は、雨になれば1週間延期され、清掃デーと重なる。その場合はやはり去年同様、カミサンら2人にカウントを頼むことになる。

去年も感じたことだが、少子・高齢化がいちだんと進んできた。わが区は、ソフトボールは人が集まらないために今年も棄権し、バレーボールはぎりぎりのメンバーでやっと参加にこぎつけた。

あとは予定通り大会が開かれることを祈るだけだ。台風1号が発生したこともあって、5月最後の週は毎日、天気予報と「雨雲レーダー」をチェックした。

6月2日の予報は最初、「曇りときどき雨」、あるいは「曇り」と、気象会社によって微妙に違っていた。しかし、日曜日が近づくにつれて、おおむね厳しい予報に変わってきた。

夜が明けるころから雨、あるいはお昼ごろから雨――。1週間延期、今年も清掃デーと一緒、を覚悟した。バレーの監督には、前日、延期もあり得ることを伝えた。

当日は4時前に起床した。一時、パラッときた。やはりだめか。そう思ったあとに、想定外の展開になった。

雨雲の間に青空がのぞき始めた。6時半前、念のために公民館へ行くと、事務局が「晴れてきたのでやります」。すぐバレーの監督に連絡して、会場設営と開会式の準備に加わった。結局、日中は雨なしだった。

地区には八つの行政区がある。いざふたを開けてみると、ソフトは半数の四つの区が、バレーは二つの区が棄権した。

ソフトの試合=写真=の合間に、わがバレーボールチームの試合を見たが、どうもダントツの強さだ。結局、そのまま突っ走って優勝した。

次は平地区大会だが、今年はそれを通り越していわき市大会だという。メンバーが足りないこともあって、次の大会は辞退することにした。寂しいが、これもまた少子・高齢社会の現実だ。

2024年6月3日月曜日

カラスも隣人

                      
 家の前にごみ集積所がある。わが地区は月曜日と木曜日が「燃やすごみ」の日だ。

 「缶・ビン類」の火曜日(隔週)と「容器包装プラスチック」の水曜日も含めて、月曜日に私がごみネットを出し、木曜日のごみ収集が終わるとカミサンがそれを取り込む。

 ごみネットは、「容器プロ」のように軽いごみ袋が風で飛ばされないようにするためでもあるが、一番はカラス=写真=が「燃やすごみ」に含まれている生ごみを、袋をつつき破って周囲に食い散らかすのを防ぐのが目的といってもよい。

 家の前のごみ集積所だけの問題ではない。月曜日と木曜日、ごみ収集車が来る前に近くの道路を通ると、複数の集積所でカラスが荒らしたり、群がって盛んに生ごみを食い散らかしたりしているところに出合う。

 わが集積所も何年かおきにカラス被害に遭う。そのつどカミサンが片付ける。このごろはしばらく平穏だったのだが……。前に書いたブログを引用する。問題の本質は全く変わっていない。

――家庭から排出されるごみには、人間の意識が反映される。少しでもマナー違反があると、カラスは目ざとくそこを突く。

コミュニティは「ゴミュニティ」である。ゴミュニティには、ごみと人間のほかにカラスが加わる。カラスとの知恵比べに負けるわけにはいかない。

カラスはとにかく賢い。1羽がネットをくちばしで持ち上げる、別の1羽がごみ袋を引っ張り出してつつく、といった連係プレーまでやる。カラスの脳は体積比でニワトリの10倍もあるそうだから、あなどれない。

わが区では独自に回覧チラシをつくり、これまでに二度、隣組に配った。「生ごみは新聞にくるんだり、レジ袋に入れたりして外から見えないようにしましょう」「ごみネットと地面の間にすき間があると、カラスが袋を引っ張り出します。重しを置くなどしてネットを開けられないようにしましょう」

戸建て住宅の集積所、アパートの集積所、両方混在の集積所……。高齢世帯、若い家族、独身世帯でもごみの出し方は違う。

カラスを呼び込むのはごみを出す側だ。カラス被害が続くようだと、注意喚起の紙を電柱にくくりつける。すると、しばらくカラスは遠ざかる。しかし、住人が変わるたびにカラスが舞い戻る――。

今年(2024年)も最近、カラスの被害が相次ぐようになった。そのすべてが生ごみをそのままごみ袋に放り込んでいる、という点で共通している。

5月最後の木曜日(30日)は、朝、すぐカラスにやられた。カミサンがそれを片付けた。

と思ったら、通りがかりの女性が家に駆け込んできた。「カラスが生ごみを食い散らかしている」

カミサンはたまたま留守。私がごみ袋とほうきを持って駆けつけると、メロンの皮などが散乱していた。生ごみが丸見えだから、すぐカラスに狙われる。それが繰り返されたのだ。

カラスの存在が念頭にないごみの出し方、という点では、同じ人に違いない。また張り紙をするしかないのか。

2024年6月1日土曜日

「枕木から煙」の記事

                     
 月曜日(5月27日)の夕刊いわき民報には驚いた。いわき駅前の田町の火事とは別に、三和町でクマを目撃、小川町の磐越東線で枕木を焼く、といった見出しが並んでいた=写真。

 いわき民報は日耀日が休刊なので、週末のニュースは月曜日に載る。枕木火災は土曜日夕方、クマは日曜日午後1時ごろの目撃情報が基になっている。

 クマの出没は月曜日午前、市の防災メールで知った。三和町下市萱地内でクマ目撃情報が寄せられた。ツキノワグマがいわき市内に生息(定着)している可能性は低いが、エサを求めて市域外から往来している可能性はある。十分注意を――。

 防災メールだけでは、コトの顛末はよくわからない。取材で肉付けされて、やっと状況が見えてきた。

 目撃したのは市の職員。県道三株・下市萱・小川線を(車で)走行中、道路の路肩に、体長1~1・5メートルのツキノワグマがいるのを確認した。クマは東の山の中に逃げたという。

 クマに関しては去年(2023年)も市内各地で目撃情報が相次いだ。なかには別の生き物をクマと誤認したものもあった。

 それよりなにより、枕木火災のベタ記事は読み飛ばして終わり、というわけにはいかなかった。場所は牛小川踏切付近、つまり夏井川渓谷にある隠居のすぐ近くではないか。

 隠居の前を磐東線と県道小野四倉線が走る。隠居から100メートルほど行った山側に何軒か家が張りつく。広域基幹林道上高部線も踏切をまたいで県道と接続する。

 住民が線路内から白煙が出ているのを見つけ、消防署員と一緒になって消火した。枕木1本が焼損したと、記事にある。

 火のないところから煙が立つものだろうか。ネットで探ると、ときどき枕木が煙を出す事故が起きている。

 事故のあった翌日曜日、隠居へ着くと夜間線路工事を知らせるチラシが届いていた。作業期間は5月21日~6月28日で、時間は夜10時から早朝6時半ごろまで。内容は大型建設機械を使っての「PCマクラギ」交換だという。

PCはプレストレスト・コンクリートの略。要は線路の強化対策として木製からコンクリート製の枕木に交換する、というものだろう。その工事が進められているなかで、木製枕木が煙を出した。

ネットによると、列車がブレーキをかけた際に生じる火花などが原因で枕木が焼ける場合がある。

気温の上昇に加え、空気が乾燥していると、自然発火することもある。木製枕木には油分を染み込ませているので、それも原因のひとつとして考えられるのだとか。

たまたまよく知る踏切付近で、しかも枕木交換が行われている最中に、煙が立ち昇った。忘れがたい事故ではある。

2024年5月31日金曜日

ワラビの味噌漬け

                     
 春の大型連休をはさんで、フキやコゴミ(クサソテツ)といった山菜、栽培物では越冬して開花し、実が若いサヤエンドウのお福分けが続いた。

 夏井川渓谷の隠居の庭にはフキが出る。早春のフキノトウ、初夏の若いフキがてんぷらや汁の実、炒め物になって食卓に上る。それでも余る。これらも鮮度を保っているうちに、お福分けに回る。

 素材そのもののほかに、このごろは調理されたものが届く。ありがたい。下準備の手間が省ける。カミサンは器に盛るだけ。私もよその人の料理が楽しめる。

 高齢になって独り暮らし、あるいは夫婦だけという家庭が増えた。食べる量が減ったことも、調理済みを歓迎する理由のひとつだろう。

 というわけで、5月は山菜のお福分けのおかげで、あっさりしたおかずが多かった。ときには、何かボリュームのあるものを、と思わないでもなかったが、老夫婦プラス義弟の3人だけでは、量に不服はない。

 山菜は、昔からの食べ方しか思い浮かばない。いや、それが普通だと思っていた。ところが、料理はアイデア次第でいくらでも変わる。

料理そのものが創造的な営みだということは、テレビの料理番組を見ればわかる。同時に、自分でも糠漬けを続けていて、しばしば実感することだ。

先日、ワラビが食卓に出た=写真。味噌漬けだという。ワラビの味噌漬け? 最初はいぶかしがったが、口に入れると、これが「いける!」。

お福分けをよく携えてくるカミサンの茶飲み友達が、「友達がつくったものだ」といって持ってきてくれたという。

お福分けのお福分けだ。ワラビの味噌漬けは初めてだったので、ネットで情報を探ると、いろいろ出てきた。

まずはワラビをゆでる。すぐ冷水にとって一晩さらす。ぶつ切りにしてタッパーに入れ、味噌と味醂をまぜて、冷蔵庫で一晩保管すると翌日には食べられる、とあった。

洗ったワラビを味噌の中に並べる。味噌はワラビ全体にしっかりつける。1~2日で表面に水が出てきたら食べられる、ともあった。

ちょうだいした味噌漬けのワラビも、たぶんどちらかのやり方で出来上がったものにちがいない。

味噌漬けだけでなく、ワラビの糠漬けもあった。こちらはアクを抜いたワラビを糠床に入れるだけ。2日くらいたつと食べられる。茎はオクラのような粘りがあるという。

夏井川渓谷では4月末になるとワラビが採れる。摘んだあとから子ワラビが現れる。これも摘む。夏には次の年のことも考えて、摘むのを最後にする。これを「終わり初物」という。

終わり初物には早いが、ワラビはもういい。糠漬けを試すとしたら来年だ。スーパーから買ってきて、糠床を再開すると同時に漬けてみようか。

創造力という点では、文学や音楽、美術などを思い浮かべることがほとんどだったが、料理もまたそうだ。

日常生活の中では食欲が最も創造力と結びついている。私のなかでは、今や料理は文学を超えている――そんなことをときどき思う。

2024年5月30日木曜日

歴史探偵の本のエキス

                              
 店の一角でカミサンが地域図書館「かべや文庫」を開いている。月に1回、移動図書館「いわき号」がやって来て、借りる本を更新する。

 今回はどんな本を選んだのかな――。およそ30冊ある本の背表紙をながめていたら、半藤一利さん(1930~2021年)の『歴史と戦争』(幻冬舎新書、2018年)があった=写真。

 借りて読んでいるうちに、最近、陸上自衛隊のある連隊がSNSで「大東亜戦争」という言葉を使い、のちに削除したことを思い出した。

 『歴史と戦争』は、半藤さんが90歳で亡くなる3年前、80冊以上の著書から日本の戦争に関する文章を抽出し、同時に幕末以降の近代史の流れを浮き彫りにするという、ちょっと変わったスタイルの本だった。

 いわば、半藤さんの本のエキス、思想の源でもある。女性編集者2人の連係プレーで、本人も「ウヒャー」と驚くような新書ができた。

 「大東亜戦争」に関する見解が明快だ。当時のリーダーたちは「大東亜戦争」という言葉を、表と裏で使い分けていたという。

「対米英戦争は、アジアの植民地解放という崇高な目的をもった戦いであった、ゆえに大東亜戦争と呼称すべし」。時折、抗議の手紙が届いた。

これに対して半藤さんは、昭和18(1943)年5月の御前会議で決定した「大東亜政策指導大綱」第6項を例に挙げる。

「マレー・スマトラ・ジャワ・ボルネオ・セレベス(ニューギニア)は、大日本帝国の領土とし、重要資源の供給源として、その開発と民心の把握につとめる。……これら地域を帝国領土とする方針は、当分、公表しない」

半藤さんはそのあと、舌鋒鋭く断罪する。「アジア解放の大理想の裏側で、公表できないような、夜郎自大な、手前勝手な、これらの国々の植民地化を考えていた。この事実だけは、二十一世紀への伝言として日本人が記憶しておかねばならないことなのである」

「夜郎自大」は、自分の力量を知らない人間が、仲間の中で大きな顔をしていい気になっていることをいう。原文は『昭和史残日録 1926―45』に収められている。

満州国とモンゴル共和国の国境線をめぐってソ連軍と戦い、日本軍が敗退した「ノモンハン事件」については、学ぶものが5つあるという。

「当時の陸軍のエリートたちが根拠なき自己過信をもっていた」「驕慢なる無知であった」「エリート意識と出世欲が横溢していた」「偏差値優等生の困った小さな集団が天下を取っていた」

そして、最後の5番目。「底知れず無責任であった」。これは今でも続いている、という。

「大東亜戦争」の言葉の裏にも通じる、リーダーたちの身勝手さと無責任さ。半藤さんが繰り返し指摘してきたことは、実はこれだったのかと納得がいった。

2024年5月29日水曜日

うどんの冷やだれ

                              
 いわき昔野菜保存会の総会が開かれた。終わって交流会に移り、2月に実施した昔野菜フェスティバルを振り返りながら、昔野菜(伝統野菜)の栽培や調理の話になった。

 フェスティバルの行事の一つ、種の交換会では昔野菜を食べてみたい人が多いことを実感した。作物や栽培方法などを写真で視覚化すると、より理解が深まる――そんな意見も出たという。

 容器に土を入れてナガイモを栽培した人は、写真を見せながらそのやり方を解説した。

ペットボトルで大根を栽培する人もいるという。これもナガイモと同じベランダ栽培の一つだろう。

 ネットで確認したが、ペットボトルの上部をカットし、底部に排水穴を開ける。ボトルに鉢底石を入れて土を詰める。表面に3カ所、種をまいて、いい苗を1本残す。あとは畑と同じやり方で育てる。

このあと、話が思わぬ方向に発展した。長年、ジュウネン(エゴマ)を栽培している人がいる。夏の食べ物にジュウネンを使った「そうめんの冷やだれ」がある。今度、「うどんの冷やだれ」を試食しよう、うどんはもちろん自家製で――。

 「そうめんの冷やだれ」には思い出がある。平成5(1993)年度から2年間、いわき地域学會がいわき市の委託を受けて、伝統郷土食調査を行った。それが同7年3月、『いわき市伝統郷土食調査報告書』として刊行された。

 カツオやサンマなどの浜の料理のほかに、山菜や野菜などの料理がレシピ付きで紹介されている。

 調査委員の一人として編集・校正を担当した。そのなかで一つだけ、調査を提案した料理がある。「そうめんの冷やだれ」だ=写真。

いわき市の南部、山田町の後輩の家で夏の暑い盛りにこれを食べたことがある。たれにはジュウネンが使われた。

材料はサンショウの皮(1週間ほど陰干しにしたもの)・ジュウネン・味噌・水・醤油で、そうめんは太めのものを使う。

報告書のレシピによると――。まず、サンショウの皮をフライパンで乾煎(からい)りする。弱火から中火でさっと炒り、ジュウネンも加える。これもさっと炒る。

これらを擂り鉢にあけて擂る。味噌を入れてさらに擂り、徐々に水を加えてのばしたあと、醤油や化学調味料などで味を調える。

わが家でも、暑い盛りにはジュウネンの冷やだれでうどんを食べる。拙ブログによれば、月遅れ盆が終わり、あまりの酷暑にげんなりしていたとき、カミサンが庭からミョウガの子を摘んで、ジュウネンの冷やだれをつくった。

茶の間を避けて寝室で本を読んでいたら、ジュウネンを炒って擂る香りが漂ってきた。それに食欲が刺激された――そんなことを書いていた。

阿武隈高地では、「よごし」といえばゴマよりはジュウネンのことが多い。彼岸には「ジュウネンぼたもち」(春)、「ジュウネンおはぎ」(秋)もつくる。

いわきの昔野菜はやはり、ジュウネンが代表(もう一つは小豆の「むすめきたか」)ということになるようだ。

2024年5月28日火曜日

飲み屋街の昼火事

         
 日曜日(5月26日)の昼前、夏井川渓谷にある隠居の庭で土いじりをした。間もなく正午という時間、隠居に戻ってスマホをチェックすると、いわき市平・田町の飲み屋街で火災になっていることを知った。

 飲み屋街の近くに住む知人がフェイスブックに画像をアップしていた。炎と黒煙が激しく立ち昇っている。これはオオゴトだ!

 すぐ正午になった。ラジオ(NHK)が中央のニュースを伝え、東北地方のローカルニュースに切り替わって、2番目に田町の昼火事を報じた。

 午前10過ぎに出火した。消防車が何台も出動した。それだけではない、延焼中だという。これはいよいよオオゴトだ。

 田町は言うまでもない、いわきで一番の飲み屋街だ。狭い路地に飲み屋が密集している。しかも、ほぼすべてが低層の雑居ビルだ。

 ボヤならともかく、建物全体に火が回ると、何軒ものスナックやバーが被災する。隣接する雑居ビルも同様だ。

 昼食のために、ほどなく街へ戻った。国道399号を利用していわき駅前に近づくと、飲み屋街の西側、レンガ通りが通行止めになっていた=写真。

 半分透明な煙が漂っている。南西から北東へと風が吹いていて、並木通り(国道399号)を駅方面に向かうと、きな臭い匂いに包まれた。田町の東側、銀座通りも通行止めになっていた。

 家に戻ってからはメディアの報道に触れ、SNSにアップされた情報を探った。ストリートビューで火に包まれたらしい通りをチェックすると、覚えのある店の看板に出合った。やはりヒトゴトではない。

 鎮火したのは夜の9時半過ぎ。ざっと12時間近く燃えていたことになる。けが人などはなかったようだ。が、鎮火までの時間を考えると、大変な事態になったものだ。

翌月曜日の朝、さっそく新聞で状況を確認する。県紙は、鎮火時間は入れたものの、詳細は不明のまま。警察と消防の調べが進まないうちに締め切り時間がきたようだ。全国紙の朝日には、記事はなかった。

 空から現場を撮影したような写真があった。古巣のいわき民報もその一つだった。位置からみて、銀座通りにあるラトブの上の階、エレベーターフロアの窓際から撮影したようだ。

 私もラトブの総合図書館(4~5階)に行くと、窓越しによく田町方面を眺める。それでなんとなく撮った場所が推定できた。

 古巣が田町の北側、並木通りにあったため、昔はよく田町に繰り出した。本町通りと並木通りの間には、南から「紅小路(べにこうじ)」「新田町通り」「仲田町通り」の三つの路地がある。

 火事に遭ったのは新田町通り~紅小路にはさまれた一角だ。若いころ、同僚、あるいは同業他社の記者とカウンターに並んだ店も焼けてしまったか。

被災した飲み屋は12棟で数十軒という報道がある。どの店にも経営者がいる。常連客がいる。そのつながりを、これからを想像するだけで暗澹たる思いになる。